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石ころ

五つのパンと二匹の魚を捧げた少年


 イエス様の「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」というお言葉に、「は~い。あります!」と、少年は大喜びで自分のお弁当を差し出したのだろう。少年はなにも考えなかった。ただ、自分が持っていたことが嬉しかっただけ。きっとそれは、あらかじめ主がもたせてくださっていたもの。

 そのお弁当がイエス様の手に渡り、それから、群衆のすべての人にどんどん、どんどん分け与えられてゆくのを、少年は目を丸くして見ていただろう。自分もお腹一杯になって、周りの人々もお腹一杯になったことで、どんなにか幸せだっただろう。少年の捧げたものは、一つもむだにされることはなく12のかごを満たした。

 他にもパンを持っていた人がいたかもしれない。でも、「どうせ、これっぽっち何の役にも立たないだろう。」と差し出すチャンスを失ったとしたら、イエス様から頂いたパンで満腹しても、心は惨めだっただろう。こんな経験はしたくないと思う。少年と同じように主がもたせてくださったものなのに何の役にも立たなかった。

 少年のような信仰を持ちたい。幼子のような心の信仰が欲しい。自分の持っている小さなものをも、「は~い。ここにあります!」と単純に主の呼びかけに応えたいなあ。

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コメント一覧

石ころ
コメントをありがとうございます。
これからもどうぞよろしく。共に主を喜びましょう。
miyuki
(*^_^*)
素直に差し出す。素直な信仰....。私..??。

そうですね...主が持たせてくださったもの...呼びかけに答えていきたい
石ころ
お久しぶりです
良かったですね。
嬉しいコメントをありがとうございます。
みことばを通してイエス様とのお交わりを楽しんでくださいね。
らら
こんにちは。
石ころさん、
びっくりしました。
とても偶然とは思えません。
今日、ちょうど聖書のその箇所を読んだところです。イエス様が何か語りかけているような気がします。。。
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