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石ころ

笑う

 昨日の夜は苦しんでいた。心の中で戦っていた。それは、真実に主を求める姉妹に、試練がますます激しく次から次へと襲いかかっているから・・
「私は一生懸命に祈っているし、何があってもイエスさまを信じているけれど、それでもこういうことが続くというのは、私がなにか間違っているからなの?」そう聞かれたとき、

「間違っていることがあるよ、その、あなたの『私が一生懸命に祈っている』が邪魔だと思う。祈ってイエスさまに問題をお任せしたのならそれで終わり、もうそれでよいの。あなたが一生懸命だからイエスさまがよくして下さるわけではなく、イエスさまが憐れみ深いお方だから、真実なお方だから良くして下さるのだから、完全にお任せしたらいいよ。大丈夫だから・・・。

あ、今大丈夫と言った意味は、あなたの思い通りにして下さるという意味ではないよ。イエスさまがすべてを知っていて下さるから大丈夫ということ。永遠を見通しておられるお方だから、目先の方法ではなく、私たちの思ってもみないようなことさえ出来るお方だから、それが仮にどういう結果であっても大丈夫と言うこと。」

 そんなふうに、まるでぽんぽんと啖呵を切るように言って帰ってきたけれど、そうして、自分の言葉が間違ってはいないと思うけれど、それでも彼女の苦しみや葛藤は否応なく分かり、一日中何をしていても心の中には、主に問うように渦巻いているものがある。

「主よ。あなたが真実なお方であることを知っています。だから、私のような者が彼女を心配することは僭越であることは分かっています。けれども私は弱い人間ですから、気持ちが分かってしまうのです。人はそんなに強くありません、心がどんなに揺れる者であるか知っていますから・・」
そんなつぶやきを繰り返している。でも、私なんかよりも主が心配をしておられることも知っている。主は人となって下さった。人間をよくご存じなのだ。

 ああ、そうだ。私はこういうときに詩編91編から力を得たと、印刷をして彼女の家のポストに入れておく。
人間的な言葉を繰り返したくはない。そんな所にはまりたくない。主に委ねるほか私に何が出来得よう・・もう、彼女に話す言葉はない。
夜、みことばが来た。エレミヤ29:11
「 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

ヘブル12:5~11
「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。
訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。

さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」

 これは彼女へのみことばかと明日届けようと思っていたけれど、みことばを読むうちに私に向けて語って下さったのだと、私はすっかり落ち着きを取り戻して希望と平安を得ていた。

 
 今日、スーパーでいきなり後ろから抱きしめられた。私はそういうことがひどく苦手なので驚いて振り向くと、彼女が満面の笑みを浮かべておられた。きれいにお化粧をして「昨日はありがとう。何度も読ませてもらって・・わかったよ」と、詩編を届けたことのお礼を言われた。
言葉を聞く前から彼女の笑顔がすべてを語っていた。問題は少しも動いては居なくても問題からの勝利が見えた。

「また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ・・」(マタイ21:44)イエスさまに落ちるなら粉々に砕かれる。そうして私が見えなくなったらイエスさまが勝利を取って下さる。イエスさまに落ちることは常に勝利。問題がなければどうしてイエスさまに落ちることが出来るだろう。自分で解決できるならどうして主により頼むだろう・・だから問題なんていくつ重なっても、それはいよいよ主を深く経験することになるだけなんだ。

 今夜はずっと安息している。そうして、ちょっと可笑しくもある。彼女がなぜあんなに満面の笑みで笑うことが出来たのだろうと・・、主はやはりご真実だと・・私たちの今居る所は問題だらけの辛い所かもしれないけれど、私たちは勝利の主と居るのだと、世の嵐の中でその主にあって笑うのだと・・。

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コメント一覧

石ころ
ありがとうございます。
「イエス御自身も『気持ちをわかってしまえるように』人になられたのだとしたら、凄いことですよね。」

イエスさまは、そんな弱さをもって涙を流してくださったのでしょうか・・。そこまで人となってくださったのでしょうか・・。
感謝します。

最近の悩みは、
「クールな頭とホットな心」と以前教わりましたが、クールに冷める心とホットに沸騰する頭です。

しかし、主はすべてを持っておられます。主に満たして頂きます。
Salt
弱さ
すばらしい証をありがとうございます。

主よ。あなたが真実なお方であることを知っています。だから、私のような者が彼女を心配することは僭越であることは分かっています。けれども私は弱い人間ですから、気持ちが分かってしまうのです。人はそんなに強くありません、心がどんなに揺れる者であるか知っていますから・・

この心境、よくわかります。

イエス御自身も「気持ちをわかってしまえるように」人になられたのだとしたら、凄いことですよね。

感謝です。
miyuki
そうですねm(__)m
私にピッタシのことです。
ムベさん.....感謝です。
....笑う....私も....きっと!!。。。祈
石ころ
エシュコルさん感謝します
苦難の時に、私たちを笑わせて下さるご真実な主です。

  
あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
エシュコル
実に不思議です。
http://hswofach-wtl.jugem.jp/
風のささやきのtakakoさんも似た様なところにいて、きっとそのうちにその方も笑う事が出来るとの思いがあります。
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