石ころ

人とは何ものなのでしょう ①(ヘブル2章)

 

 

御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。(1:14)
ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。(2:1)


御使いは礼拝の対象ではなく、キリスト者に仕えるものである。キリスト者は、御父、御子、聖霊なる三位一体の神さまをのみ礼拝する者である。
真理にしっかり留まっていなければ、神のかたちに造られた者の使命を果すことはなく、迷いの中で世に押し流されて、価値ある命をすり減らすことになるのだ。


こんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、私たちはどうして処罰を逃れることが出来るでしょう。この救いは、初め主によって語られ、それを聞いた人たちが確かなものとして私たちに示したものです。(2:3)新改訳2017


キリストによって語られた真理は、使徒たちを通して全世界に伝えられた。みことばをないがしろにする者は滅びる。キリストのいのちの言葉を、誠実に聴かなかったかったからである。神は、なをあらゆる方法をもって、すべての人に御自身を知らせておられる。


そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。(4)


みことばの確かなことは、イエスさまが十字架で死んで墓に葬られ、三日目によみがえられたことを歴史に残し、聖書の預言のことばも世界の歴史的な事実として、創造主なる神さまを知ることができるようにされてある。


また、みことばに拠って生きる者には、しるしや不思議、力あるわざを折々に見せて、信仰の成長を導いて、神に愛されている喜び味合わせてくださる。
日常のありふれた出来事の中で、心にある願いや小さな祈りさえもが、主に届いていたことに驚き、また、危機一髪のお守りをも経験もさせていただいている。聖霊も、時にかなって神のことばを思い出させて、備えてくださるのである。


「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう。人の子が何者だというので、これを顧みられるのでしょう。(6)


人間は神の作品であり、一人一人を目的をもって造られたことに価値がある。それゆえ、キリストは私たちの霊のうちにいてくださり、御自身をキリスト者を通して現し、神のみこころを完成させてくださる。
それはなんと価値のある命であろう。なを、永久までも御愛の中に居らせてくださるのである。


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