神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。(1~2)
万物の相続者とされ、ことばによって世界を造られた方キリスト。この御子を信じるすべての人は永遠の滅びから救われる。このことは神の御計画に拠ることである。
御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。(3)
愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、自制・・ 、御子イエスさまによって知らされた神さまはこのようであった。イエスさまを見て、イエスさまを聴いて、信じた者に流れてくる恵みである。
みことばの真実と力、そこにある備え、永遠に至る望みを知らされ、今、イエス・キリストをうちにたまわっているとことは、本当にどれほど驚嘆すべきことであろう・・
イエスさまは神であるのに、人と同じ肉体をまとって世に来てくださり、その体に私たちの罪をすべて負わせて、人の不法を処理してくださった。死んで葬られ三日目に完全な姿でよみがえって、そのあがないを信じる者に義の衣を着せてくださった。
このことは信仰によってその人の事実となる。イエス・キリストを信じ無い者の罪はそのまま残る。疑う者の罪もそのまま残る。あがないを受けないからである。
御子については、こう言われます。「神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。
あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました(8~9)
義を愛し不正を憎まれる神の御前に、みことばをそのまま頂いた者は、キリストに寄り添われ喜びにあふれ、聖い姿で立つのである。
それは日々そうであって、キリストに注がれた油は信じる者に豊かに滴り落ちて、御前に感謝の祈りと、喜びの賛美を捧げる力としてくださる。