石ころ

足のともしび 道のひかり ③


 みことばに「アーメン」したとき、目の前の出来事や事情に関わらず、時間を経てみことばが現実となって行った。それは私の信仰には拠らず、まことに主の御真実、みことばの約束による。

1991.7.27
次男の進学を前に、すべてが足りないことばかりの中で、あきらめることなく進めたのは、祈りのうちに示されたみことばがあったからだった。

「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」ヨハネ(11:40)


1992.4
次男の短期大学合格通知を受け取ったとき、私は神の御前にひれ伏した。

私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。(ヨブ42:5)

彼を初めて手元から送り出すときも、経済的なこと、学力、コミュニケーション、生活力、信仰すべてに不安がある中ででも、みことばに拠って進んだとき、すべての必要は備えられていた。教会も彼に相応しい家族的な教会が近くにあり、そのことで私は安心を得た。

「主の山に備えあり」(創世記22:14)


1997.10.20 
主人のことで、再びみことばの確信が与えられ夫婦の間に平安があった。

彼女は産みの苦しみをする前に産み、陣痛の起こる前に男の子を産み落とした。(イザヤ66:7)


1998.2
長男の結婚を前にして喜びと共に、主人の仕事が不安定で問題を抱えていた。そんな時の相談相手はみことば。

何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:6.7)


1998.10
台風が直撃。山の木はすべてなぎ倒され、家は何度も煽られ激しく揺れた時、主に「この風をなぜ治めてくださらないのですか!」と叫んでいた。しかし、吹けば飛ぶような我が家は被害を受けず、主人の仕事が増える結果となった。

「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのはどうしたことです。」(マルコ4:40)


2000年
叔父のお葬式。叔父を慕い泣く者はなく、病をおして礼拝を守った叔父は、家族に信仰を反対されていた。お葬式のメッセージは家族に寄っているようで、私は叔父が責められているように感じ悲しかった。自宅に戻って聖書を繰ったとき、このみことばによって主のお慰めを受けた。これで良いのだと。
  
また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。(Ⅱコリント6:8)


2005.5.15
Y教会を去る決心

もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。(コロサイ2:20~3:2)


2005.5
私は、いつも家に閉じこもって外出が嫌いだった。そんな私が遠方の教会に行くことを伝えたとき、親しい姉妹より頂いたみことば。

まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」(ヨハネ21:18)

また、あなたがたに、わたしの心にかなった牧者たちを与える。彼らは知識と分別をもってあなたがたを育てよう。(エレミヤ3:15)


2006.10.17
主人の事故、大木が足の甲の上に落ちてきた。周りの人々も震え病院に運び込まれたが、捻挫程度で包帯もなく歩いて帰って来た。ふたりで聖書を開いて感謝の祈りを捧げたみことば

まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。(詩91:11.12)


私にとってみことばはすべて。事前に祈りの答えとして与えられ、そのみことばを支えに現実に挑んだことがあり、また、事後に与えられて、そこに働いてくださった主を覚えた時がある。また、みことばによりお叱りを受けて成長させて頂いた事がある。人を通して教えられたみことばもある。

今、聖書に書き込まれたメモを整理していて、私の霊に刻まれたみことばは、平和の中でではなく、人生の最も困難な中で与えられていたことを気づかせて下さった。困難は恐れるものではなく、主の恵みを味わう道であると。ハレルヤ!御名を崇めます

あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 詩篇(119:105)

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コメント一覧

石ころ
また、お待ちしています
とし様
コメント感謝致します。
とても嬉しい評価を頂きました。すべてを導いてくださる主に感謝致します。
とし
静かな日曜のよるです
みことばとむべさんの静かな生活がみえてきます。
読んでいると落ち着きます
また、きます
石ころ
アーメン
ラベンダーさんとイエス様を分かち合えることが、とても嬉しいです。
いっぱい笑ったり、一緒に感動したり・・・

住んでいる国も違う(これってすごいことです!インターネットでないとあり得ない環境)、年齢も違う、お顔も知らない。
なのにこんなにおしゃべりが出来る、心を通わせることが出来るのですね。
ラベンダー♪
主の山に備えあり
みことばを、一緒に味わいさせて頂きました。
「平和の中でではなく、最も困難な中で与えられていた・・」
自分のことも振り返って、その通りだなぁと思いました。

私の聖書の中の、線がたくさん引いてあるところを見ますと、
その当時の事を思い出して、胸が苦しくなってしまう時もあるのですが、
みことばによって、どれだけ支えられてきたことか・・・
私の弱い心を、いつも励ましてくださる主に、
感謝の気持ちでいっぱいです。

足のともしび、道の光・・・・ですね^^
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