石ころ

愛の完成 マルコ12章(Ⅱ)




イエスは彼らに言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではありませんか。
人が死人の中からよみがえるときには、めとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。


復活を信じていないサドカイ人の屁理屈に、イエスさま彼らの聖書の無知を暴かれたが、無益と思えるような議論であっても、聞く者があるかぎりイエスさまは忍耐と謙遜をもって天にある備えを語ってくださる。

 仲の良い家族であっても、この世にあっては罪の影響を受けている。そこには幾らかの圧迫や支配があり、愛が真っ直ぐに届かないもどかしさが付きまとう。
愛を素直に表現できなくて・・、受け入れたくてもわだかまりが消えなくて・・、力がなくて・・、人はそんな多くの涙を心に抱えて生きている。

彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(黙示録21:4)

神様に、そのような目の涙をすっかり拭い取って頂いた時、人は完成された愛に出会う。それは天使のような対等な関係の中で、互いに聖い手を伸べて心から抱きしめ、また抱きしめられるのだろう。
関係を妨げるものは何も無いから、すべての悔悟も責めも飢えも渇きもなく、ただ愛を思う存分語り合うだろう。
だから主は家族の救いを計画してくださった。愛の完成のために。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)

「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。あなたがたはたいへんな思い違いをしています。

すべての創造主なる神様は時間の支配の下にはない。神の時は永遠であり今も同じである。主に在る者も天に住まいを移して生き続けているのである。
御救いに与った者は、天で再会して愛が完成されるのである。

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