あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(詩編119:105)
私はこのみことばを勘違いしていた。人生のもろもろを、その場その場においてみことばによって選び取り生きることだと思っていた。みことばが、闇夜のような世の一歩一歩を照らす提灯のようなイメージであった。
みことばは祈りに応えて賜るけれどそれは足元を照らすものではなく、永遠のいのちに導くものであって、うつむいて見る灯りではなく顔を上げて永遠までを見るイエスの栄光の光であった。
「確信と希望による誇りを終わりまで持ち続ける」(ヘブル3:6)この方向を照らす光である。
もし足元を照らすなら、その足の下に踏んで行くものを見ることになる。世という獅子と毒蛇を見るとき恐れない者が居ようか・・、人はそれほど強くは造られて居ない。
目を上げて、ただイエスの栄光に目を留め、みことばによって平らにされた道を前進して行くのである。
まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。(ヨハネ12:35)
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