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石ころ

五月雨



 フロントガラスを伝い流れる雨、対向車の大型トラックが水しぶきを上げて走り去る。ゆっくりと走る車の中で、私の大腸検査の経験を主人に話しつつ・・
主人の主治医の命令で、大腸検査の申し込みに付きそう。

降りしきる駐車場はがらんとしていて、「今日は空いて居るなぁ・・」なんて話しつつ、一本の傘に身を寄せ合うようにして、道路を渡り医院のドアを押す。
主人の前にスリッパを出し、受付で手続きをしている主人を見守る。

診察券が間違っていることを指摘されて、「あれっ」と鞄の中をかき回しているので、「とにかく保険証を先に出したら・・」と横から口を出してしまった。受付嬢は「無ければ結構ですよ。」と捜し物は打ち切りにしてくれた。

 検査の度に肝臓の数値が変わり、週に2度の点滴を再開していたから、病院通いが頻繁になっている。
それらはすべて、命を守る結果になっていることはわかり、ありがたい時代だと思っている。でも、モグラ叩きのように、歳と共に衰えはあちらこちらと現れ続け、もはや良いものがでてくることはないと思い知らされる。

 私は主に頂いた経験から、すべての問題は、いよいよ近しく主を味わう時であることを知ってはいても、出来る事ならいつまでもこのままで居たいというのが本音。やはり問題は好まない。

私という人は、今持っている色々なものを失ってまで、切に主を知りたいとは思ってはいないのだ。そんな程度の信仰であると思い知らされる。
でも、確実に問題の終わりには、主との甘い経験が残るのだけれど・・。

検査前の準備の説明を受けて支払いを済ませ、玄関に来ると、先に靴を履いていた主人が靴を揃えてくれた。
「いいのに・・」なんてそっけなく言ってしまったけれど・・また、同じ傘に身を寄せて車に潜り込む。

「やれやれ・・買い物に行くか?」「うん。トマトの肥料を買いたいから。」濡れて光っている車道にゆっくりと車を出す。
互いに弱くなって、絶えず気遣っていないとひとりでは過ごせないようになって、夫婦という関係が芯からありがたい。
主は、私に何が必要であるかをよくご存じで、備えてくださった主人なのだろう。

私たちの花婿は永遠に変わることのないイエスさま。すべて、このお方の上に建て上げられている限り、揺さぶられたとしても、崩されたとしても、真っ逆さまに倒れることはない。色々あるけれどその事実に、深いところで安息している。

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コメント一覧

石ころ
みっこさんへ
真っ直ぐに受け取って下さってありがとうございます。
遠藤周作の沈黙は、信仰の始めの頃に読んだことがあるのですが、もう忘れてしまってしまいました。

親心・・そうですね。時には疎ましいでしょうね・・。
私は息子とよく言い合いをします。
でも、彼と口げんかをする人は、今のところ私ぐらいだと思って、とことん言い合っています。
みっこ
信仰の難しさ
石ころさんにとってのイエスさまの在り方がわかりました。私はキリスト教にうとく、つい仏教的に考えてしまっていました。
遠藤周作を思い出しました。彼も批判を受けたりもしながら、信仰について最後まで模索していましたね。
親心ーーーこれもなかなか難しいと、同居しながら感じています。
石ころ
エシュコルさんへ
そうですね。
どうにも、照れくさくて素直に甘えられないのです。
そんな習慣が付いてしまっているのです。
でも、思えば主人の方が素直です・・。
これからは努力します。

トラックバックまったく気づきませんでした。本当にすみません。
でも、申し訳ありませんが私の理解が行き届きませんので、トラックバックはお断りしています。
お許し下さい。
石ころ
みっこさんへ
いいえ。イエスさまに出会ってからは、拝むお方はイエスさまだけです。
本当に、礼拝は聖なるお方にだけ捧げる命がけのことですから、人を神と同じように拝むことは決してしません。

私には、主イエスさまを愛することと、人を愛することには厳密な順序があります。
イエスさまが一番でなければならないのです。
たとえ主人でも、親でも、息子でもこの順序が変わることはありませんし、同列にすることもありません。

私の信仰は弱い信仰ですけれど、いざとなるとイエスさまが力を満たして下さいますから、私は自分の願い(イエスさまを一番にしたいという・・)を行う事が出来ます。

私たちの礼拝しているお方は、天と地を造られた創造主です。だから、私はその方を愛していますが、とても恐れても居ます。


息子を心配したのは結婚に関してのみです。彼の障害や人生そのものには、私は心配をしてません。それというのも、
「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」
というイエスさまのお言葉を信じているからです。

結婚に関しても、イエスさまにお祈りしているのですから、彼にとって最善に備えられてあり、私の心配は文字通りの老婆心、または不信仰に過ぎないのかもしれません。
みっこ
みんな同じです
なるほど、イエスさまに出会ってから、周囲の人々を拝むようになるーーー読んでいて、こんな感じがしました。

息子さんのこと、心が痛みますか・・・。私は今まで様々な障害を持つ人々に出会ってきましたが、私達と同じに、みなさん愛されるべくして生まれてきたように思います。
ただ、本人がそれを信じられるかどうかーーーその難しさは、私も同じです。
エシュコル
>いいのに・・・
http://hswofach-wtl.jugem.jp/
有り難う、と言えたらどんなに良い夫婦になれるのだろう・・・と思った。イエス様にも同じ事を言うのかな?
お互い更にイエス様に仕えたいものです。

>今持っている色々なものを失ってまで、切に主を知りたいとは思ってはいないのだ。そんな程度の信仰であると思い知らされる。

本当にそうですね。それは私もそう思います。でもやはり少しずつ主を知っていくと、少しずつ自然と手放す事を学ばされています。

トラックバックを何度か送信していますが、御存知でしたか?
石ころ
みっこさんコメント感謝します
はい。二人の旦那様・・実に素晴らしいことです。
でも、主人とは半分呆けたような老人夫婦なんですよ。
文章にすると、切り取られた1断片なので、良いように思えるかも知れませんが・・

でもね、イエスさまに出会ってから、私にとって、主人の存在がとっても変わりました。
主人を通して、時々イエスさまに感謝することが出来るようになったのです。
主人に満足することができるようになったのです。

私は夫婦のことを書いていて、独身の息子のことで、ちょっと心を痛めました。

みっこさんには
ノエル君がどんなに繊細に優しくあったとしても・・。
そうして、あるいはちょっと鈍感で、気が利かない旦那様だったとしても、やはり男性に寄り添ってお歳を取って行って欲しいと願っています。


みっこ
2人のお婿さん♪
病院お疲れ様でした。

イエスさまと旦那さんと、2人もお婿さんがいていいな♪
結婚も悪くないものなのかも・・・と、ふと思いました。
このまま尼さんになってしまわないように気をつけなくちゃ(笑)。
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