受洗記念に教会から頂いた、立派な壁掛けにこのみことばが書かれていた。私はそれを玄関に掲げて、信仰告白とし通るたびに口にしていた。その頃は、厳しい問題のど真ん中で生きている頃だった。
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。」(16~18)
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(18)
続くこのみことばの大切さを後に聖書から知った。このことは、私が喜んで生きるためだけではなく、それはキリストのみこころなのだった。
信仰生活の初めの頃に、女性の宣教師さんが指し示して教えてくださったみことば。それは机に向き合う学びとかではなく、立ち話の中で手の聖書を開いて教わったような記憶がある。
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。(23~24)
私を神が聖なる者とし続けてくださる!
再臨のときに責められないようにしてくださる!
霊も魂もからだも完全に守ってくださる!
私を召してくださった神は真実な方で、
「きっとそのことをしてくださいます。」!
30年以上前のことだが、古い聖書に先生の名が書き込まれて線が引かれている。聖書が次々と変わっても、この箇所に来るとその時の感動が、鮮やかによみがえってくる。
そんな夢のようなみことばに驚きと、不思議な平安が心に染みこんでいった。信仰の初めに聴いた神の約束は、信仰生活に保証の印が押されたような深い安心だった。