石ころ

私の初めの信仰(Ⅰテサロニケ5章)

 

 

 受洗記念に教会から頂いた、立派な壁掛けにこのみことばが書かれていた。私はそれを玄関に掲げて、信仰告白とし通るたびに口にしていた。その頃は、厳しい問題のど真ん中で生きている頃だった。

 

「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。」(16~18)


これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(18)
続くこのみことばの大切さを後に聖書から知った。このことは、私が喜んで生きるためだけではなく、それはキリストのみこころなのだった。

 

 信仰生活の初めの頃に、女性の宣教師さんが指し示して教えてくださったみことば。それは机に向き合う学びとかではなく、立ち話の中で手の聖書を開いて教わったような記憶がある。

 

平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。(23~24)


私を神が聖なる者とし続けてくださる!
再臨のときに責められないようにしてくださる!
霊も魂もからだも完全に守ってくださる!
私を召してくださった神は真実な方で、

「きっとそのことをしてくださいます。」!


30年以上前のことだが、古い聖書に先生の名が書き込まれて線が引かれている。聖書が次々と変わっても、この箇所に来るとその時の感動が、鮮やかによみがえってくる。


そんな夢のようなみことばに驚きと、不思議な平安が心に染みこんでいった。信仰の初めに聴いた神の約束は、信仰生活に保証の印が押されたような深い安心だった。



ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事