石ころ

みこころの的を射る(ヘブル11章)

 

朝毎に、アベルの捧げものを捧げることができますようにと祈る。それは、主が求めておられるものだから。
聴く耳と、みことばを読み取る目を開いてくださいと祈る。主が、今何を求めて居られるのか知らなければならないから。


イエスさまはただ一度御自身を捧げられて、すべてを完了された。
しかし、私たちは今日の命をもって、今日捧げるものが何であるかを聴く必要がある。それは主と共に生きるためである。


信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。(4)


神さまに私たちの捧げものを証して頂くためである。それは、神さまが証してくださることばに拠って生きる者だから・・。


私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。(ローマ8:16)


主と共に生きる今日が御国の前味わいであって、信仰は主に聞く耳を絶えず開いて、みことばを待っている。私たちは、主のお喜びが嬉しいから・・。
今も、アベルの語っていることは、みこころの的を射た喜びである。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事