信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。(4)
アベルは羊飼いであるから血を捧げるための動物を持っていた。カインは農夫であり、血をささげることはできないではないか・・と、考えたことがあった。カインに対して不公平であると・・。
しかし、カインには別のすばらしい捧げものが用意されていたのだ。
神さまの選びに従順し自分を治めることを以て、捧げものとすることができたということ。それは自分自身を捧げることなのである。
神さまは、すべての人が同じたまものではなく、一人ひとりに相応しく捧げものを備えてくださっていた。
備えられたタラントを他と比べる物とせず、主が量り与えられた分に喜んで信頼するなら、それはとても聖い捧げものとなる。
人は、神さまが準備してくださったものが、どれほど豊かな備えであるかを知らないから、妬んだり争ったりするのだ。
自分を愛してくださる神の愛が、どれほどのものであるかを知るなら、他に比べて愛に渇き、競い合い奪い合う必要などまったくないことを知るだろう。
神の愛を知ることは信仰の初めであり、御愛を経験して行くことが信仰生活である。
壮大な人の救いの御計画は、一人ひとりの「私」が愛されている証なのである。
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(6)