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石ころ

イエス様こそすべての望み


創世記を読んでいて、神様のご計画は私たちの出来には拠らず成るということ、人の内から出るものに良いものはないと言うことを知った。人が良いと思って計画することは、いつも自己中心的で善悪に対しても曖昧である。

神様は絶対聖なるお方であるなら、なぜ見過ごすことが出来るのかと思うことにも、寛大であるのは、元々人の善悪に拠ることではなく、神様の計画に拠っているからであると思う。

善悪の知識の木の実を食べてしまった時から、人はすべての判断の基準を自己に置くようになってしまった。何が本当に正しく良いことであるか判断が出来なくなっている。すべての争いや戦いの原因は此処にあると思う。誰もが自分の基準で物事を判断しているのだから通じ合うことはない。

人は自分を見つめても、どんなに良いと思うことを計画しても、しょせん自己の基準から出たものに過ぎず、そんなに価値あるとは思えない。一時的には良い結果が出ても、いつかそれはほころびが生じ、矛盾が生じる。人には先を見通すことは出来ないのだから、完全な計画は立てられない。

唯一神様の喜びであるお方、私たちの造り主であり、救い主であるイエス様を見て生きることこそ、変わることのない望みに満ちて生きる方法だと思う。なぜなら、そこには私たちの正しさには拠らない、神様の「良き計画」が在る。そこにこそ、唯一私たちの幸せ、平和があり、すべての人が共に住むことの出来る世界があると思う。

いつも、何時でもイエス様を意識しているということ。私の心の在処、視線が何処を見ているかがもっとも大切なのだと思う。行いはその時、その時、神様の導きの中にあることこそ、もっとも建設的な誤りのない生き方であると思う。


わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。聖書 

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