石ころ

水遊び


夏休み真っ盛り、でも、あまり子供の姿を見ない・・子供たちはどこかに集められて面倒を見られているらしい。可哀想に・・・
私の子供のころには思いっきり水遊びをしたものだ。

 まずはじめは小川を堰き止めて自然にできる小さなプールの中で、流れに乗って両手を川底につけてバタバタと水をけりながら遊ぶ、ちょっと深いところで自然に体が浮くことを体験していつの間にか犬掻きができるようになった。

小川が物足りなくなったら、大川の遠浅になったところでたむろして遊ぶうちに、徐々に深みに泳いでゆくようになる。そのうち友達と大川の深いところに移動して、岩の上から飛び込んだり、川を横断することに挑戦するようになっていく。川の真ん中にある大きな岩によじ登る時は必死だったなあ・・。急な流れに逆らってつかまりにくい岩にしがみつくことは大変だった。全神経を集中してタイミングを見計らったものだ。

やがてそれにも慣れてくると次に挑戦するのは、大人たちに禁じられていた「隋道」という人工の川、それはわずかな距離でトンネルに流れ込んでいた。深くて、流れも速く、高い橋の欄干から飛び込んで流れ下る。トンネルの直前に小さな鉄の輪があって、それを上手くつかんで急流の中から上がってくるというもので、今思うとゾッとするような遊びだった。しかし、ドボ~ンと水に飛び込み急流に身を任せてながれ下り、その輪にしがみついたときのわくわくするような達成感にみんな夢中だった。子供というものは駄目だといわれるとよけいに興味をそそられる動物、絶えず挑戦していたいのだ。


 どこで泳いでいるときも大人が付き添って監視していることはなかったし、誰にどこで泳げと強いられたこともなかった。一緒に泳いでいた友達の様子などとも比べながら自分で判断してきた。子供にも自分の力は自分でわかる。また、時には子供同士で教え合うこともある。エスカレートすることもあるけれど、それは挑戦となり成長となる。背伸びして必死で友達について行く・・そんな怖い思いをしながら危険というものを体で知ることができた。
家に帰ったらバタンとお昼寝してしまったなあ・・。あのときのだる~い感覚まで思い出す。

 しかし、水は今とはまったく違っていた。あの頃は深い川でも、キラキラと川底の石が太陽を反射して光っていた。冷たくひえたお腹を、熱く焼けた石の上に腹ばいになって温めながら、川に浮かべて遊んだトマトをガブリと頬張るとき、とってもとってもおいしかった。きっと、今のトマトと比べればずっとすっぱい味だったと思うけれど・・。

 川遊びの人たちを見ていて、そんな懐かしい子供のころを思い出した。今の子供たちにはそんな自由がないとしたら本当に可哀想だ。彼らは、年をとったときに何を思い出すのだろう・・。

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