礼拝の帰り道は、何時になく駅からにぎやかだった。「ああ、今日は花火だった。」道の両側には露天が並んでいて、若者や家族連れの人たちでいっぱいだった。私はちょっと足の調子が悪くて痛むのでゆっくり歩いていて、前をゆく家族の話が聞こえてきた。小さな男の子が、「金魚すくいがしたいよ」と言い「駄目でしょう。今日はもって帰れないでしょう。」というお母さんの声が聞こえた。「でも、すくうだけならいいでしょう。」とねだっている・・・。「私も金魚すくいがしたいなぁ・・」一瞬痛みを忘れてそんなことを思った。
翌日、主人は頼まれた河原の掃除を終えて戻ってきて、「河原の水たまりに金魚が捨ててあったよ。水の少ないところに袋ごと捨られていた。」私は、すぐに昨夜の男の子の言葉を思い出していた。「可哀想・・・ねえ、その金魚拾ってきてほしい。」主人は気軽に「そうしょうか」ともう一度河原に拾いに行ってくれた。あの子たちが捨てたとは思えないけれど、きっと持って帰れない人がいたのだろう。それにしても・・・袋ごとでは可哀想すぎる・・。
主人が拾ってきた金魚は健気に泳いでいた。「ご縁があったんだね、」そんな気持ちで、カルキが抜けているであろう保存してあった水を入れた仮住まいに移しておいて、ホームセンターに走って飼うに必要な一式を買ってきた。拾って来ただけの金魚に、我が家にしては結構高くついたなあ・・贅沢・・。と思いつつ原付バイクを走らせていてはっと気がついた。
イエス様は、この何の価値もない私にいのちをくださった!神の御子が、罪のために死んで当然な者の身代わりになって、罪を負って死んでくださり、ご自身のいのちをくださったのだ。本当にこれこそ究極の贅沢!神のいのちをいただいているクリスチャンはなんという贅沢ないのちを生きるのだろう!
金魚は新しい環境にもすぐに慣れたらしく、ファクス台を占領して涼しげに泳いでいる。大きな出目金が一匹いて早速それは「ボス」と決まった。小さな赤い金魚たちも、これからいっしょに此処で生きていこうね。私もイエス様に拾っていただいたんだよ。
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