石ころ

空気を読むな

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 兄弟の中でヨセフはひとり父に溺愛され、愛されるままにその愛に浸り、ひとり高級な着物を着せられるままに着て、
兄たちがひれ伏す事を現した夢を、その神経を逆なでするもかまわずに見たままを話して聞かせた。
それは、ある意味・・恐ろしいヨセフであった。

ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。
見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」

兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。

ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」と言った。(創世記37:6~9)


 彼はこの後に、兄たちによってエジプトに売られ、夢を解き明かすというたまものによって出世してゆくのだけれど、
始めに彼が、兄弟を恐れて夢を語らないなら、夢を解き明かすというタラントを埋めてしまったことになったのだ。

後の飢饉で彼が一族を救い、そのことによって語ったとおりに夢が実現することもなかっだろう。
神様の大きなご計画に彼が関わる事もなかったのだ。

みこころを行う者は、人の顔色を伺っては何もできない。神様のみこころと人のご機嫌は殆どの場合両立しないから・・。責められる事を恐れてはイエス様について行く事はできない。


 イエスご自身がそうであったように、誤解されたり、妬まれたり、罠にはめられたり・・そういうことがキリスト者にもある。
でも、恐れる事はないとヨセフの記事は教えてくれた。それらのただ中でみこころが成って行くのだと・・。

ただ、キリスト者の恐れるべきは神のたまものを埋めてしまう事である。人を恐れて神様に用いられるチャンスを捨ててしまう事である。
空気を読み、人の反応を恐れる者に、神を知らぬ人には愚かしい十字架の言葉を、どうして混ぜものなしに語る事ができるだろう・・。


あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と言っているのだから。

恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。・・主の御告げ。・・あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。

見よ。わたしはあなたを鋭い、新しいもろ刃の打穀機とする。あなたは、山々を踏みつけて粉々に砕く。丘をもみがらのようにする。
あなたがそれをあおぐと、風が運び去り、暴風がそれをまき散らす。あなたは主によって喜び、イスラエルの聖なる者によって誇る。(イザヤ41:13~16)

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