石ころ

私の中のマリヤとマルタ


十字架にこれから向かわれるイエス様に、マリヤが香油を捧げたとき弟子たちは「むだ」と言った。いのちの主に捧げるささげものを「むだ」というとは「なんということ!」と思ったけれど、よく考えてみると私の中にも同じような考え方がある。いのちを頂いた御方を知るみことばの時間が、時には時間を失ってしまったように感じることがある。

主を知りたいとみことばを開くと、ついつい1、2時間は経ってしまう。洗濯も掃除も遅くなるそれは当然のこと。でも、それはイエス様にひざまずいてみことばを聴いたマリヤの選択、最善を選んだということ。なのに心の何処かでなにか咎めるものがあったならそれは違うはず・・。

新しくされるということは主のわざ。主は私に新しいいのちをくださって、そのいのちに従って生きることを導いてくださる。けれども、私の中の古い生き方、習慣が根強くあって、イエス様を第一にするには、価値観をガラッと変える必要がある。そして、そこに安息する必要がある。私の中のマルタにも、主は「今は良い方を選んだのです」と語ってくださるのだから、主のお言葉に安息しよう。それはいつか新しいいのちの習慣になるだろう・・

「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。・・」

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