石ころ

音の楽しみ





 早くに買ったコンサートのチケットを持っていた。妹と一緒に行く予定だったが、主人が胃カメラ以来痛みを覚えているのでとてもそんな気分ではなかった。その日が迫ってきても、思いは行かないが90パーセントだった。

しかし朝、主人を置いて礼拝に出掛けて行く途中でハッと気付いた。
痛みは食べたものが傷を通過するときの限定的なもので、その時間が過ぎれば普通にしているから付きっきりの必要もなく、二人で痛みの井戸をのぞき込んでいるのは如何なものか・・ということに。

主人の夕食を準備して、「行っても良い?大丈夫?」と聞くと、「長い間待って居たのに行ってこい。行ってこい。駅まで送ってやるから・・」ということで、本当に出掛けることになった。
妹は一緒に行けることをとても喜んでくれた。


 久しぶりのクラシックコンサート、チェロの美しい音色に触れた時すべてを忘れた。管弦楽器の調べのなかでも、際だって繊細なのびやかな音色に、目を閉じてゆったりと味わった。
ドボルザークの美しくも華やかな音の流れ・・軽やかに・・青い音の海をたゆとうように・・ゆだねて我を忘れた。
昔からクラシックを聴くととても懐かしくなる。いったいこれは何時の記憶なのだろう・・。

 休憩の間もぼんやりと余韻に浸っていた。こんなとき妹とは気兼ねなくて良いのだ。だから一緒に行くのだけれど・・。
しかし、チャイコフスキーの交響曲第4番・・これ、ファンファーレとか初めはすごく違和感があってちょっと付いて行けなかった。

とまどっている内に、何時しかその盛大な音の海に引き込まれてしまっていた。コントラバスやバイオリンのつま弾き(ピチカートとかいうらしいけれど・・)が主旋律として続くなんてめずらしく、そのリズミカルな音色も素晴らしくて、いつしかその賑やかさを楽しんでいた。
小さな一個のトライアングルの冴えた音が聞き分けられたとき、まだ私の耳は大丈夫だなんて嬉しかったり・・。

 拍手の嵐の中ですべてが終了した。ゆっくりと立ったつもりでも足元が揺れて動けない。私はクラシックを聴きに行くと音に酔う・・それが例えではなく、実際に酔ってしまうのだから・・困ったものだ。でも、どんなに困ることになっても、大好きなのは変わらないけれど・・。
と~っても心満たされて、主のくださった楽しい時に深くふかく感謝!

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