見出し画像

石ころ

バプテスマのヨハネは、何の「力」を使うこともなく、本当に主の靴のひもを解く値打ちもない者のように、他人の色ごとに口を挟んで牢に繋がれ、少女の踊りの褒美として首をとられてこの世を終えたのである。
母エリザベツの年老いてからの奇跡の懐妊を知っている者には、なんともその人生はあっけなくさえ思える。

しかし、イエスさまは彼を評価された。イエスさまの評価!これこそキリスト者にはすべてだと思う。
なんと彼の首をはねたヘロデは、イエスさまの噂を聞いたとき「あれはバプテスマのヨハネだ。ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が彼のうちに働いているのだ。」と言っている。

ヨハネを軽んじて殺したのではなく、彼を恐れて殺したことがわかる。奇跡を見たわけでもなく、ヨハネはただ間違っていることを「間違っています。いけません。」と言っただけなのに、権力の頂点にいる国王ヘロデは、何を見て恐れていたのだろう。

 
「また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、・・・」(Ⅱコリント6:8~9a)

とある。知っていてもヨハネの首を刎ねたように、その人の中にイエスさまを見ていても、人がそのことを恐れて切り捨てるなら、私たちの伝道は、ヨハネのように、「はい」は「はい」と言い、「いいえ」は「いいえ」と言う他ない。

 ヨハネの中に力を見せなさった方は、私たちイエスさまの御救いを受けた者にも主の御力を現していてくださるだろう。
それは過ぎ去って行く時の中の、人を集める手品師のような見せものとしてではなく、平凡な日々の中で、人の心の奥底に焼き付いてゆく、共に居られるキリストの証だろう。

 
「あなたがたに言いますが、女から生まれた者の中で、ヨハネよりもすぐれた人は、ひとりもいません。しかし、神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれています。」(ルカ7:28)

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

石ころ
愛知県のさっちゃんさん
エシュコルさん
コメントを感謝します

愛知県のさっちゃんさん、みことばに感動することは、主の導き、祝福ですね。

私は、バプテスマのヨハネという、一見、力とは無関係と思える人を通して、私たちに与えられているものが、どれほどのものであるのかということに気づかされました。
神の国の子の立場というものについて、知ることは驚きでしかありません。

十字架によって与えられたものの本当の価値を知らないと、主によって与えられているものがどのようものなのか、その価値を知らないと、とんちんかんな生き方となり、平安もなく、つまらないものを求めて続けてしまうことになると思いました。そして、伝道の自由も得られないと・・。
エシュコル
ヨハネとは
全く真逆の生き方をしている有名な牧師逹…。

先日からヨハネの様に、自分は衰え主イエスのみが私を通して現われる様に願っています。

さっちゃん、お大事に。
愛知県のさっちゃん
不思議ですね。今日透析の最中に同じところを読んでおりました。

主の靴のひもを解く値打ちもない・・(奴隷の仕事であると岩波訳の注解に書かれてありました。)
以前は何気に読み過ごしていたところでしたが、自らの姿を知っている、このことが深く心に留まりました。

バプテスマのヨハネの死が、彼自身主の道を整える者としての歩みを全うされたことを知った時、驚きに包まれたことを忘れることができません。
主イエス様がすべての罪を背負って十字架にかかられるという最も不条理な死の道備えがバプテスマのヨハネの死

ヨハネの死を受けて、イエス様は、まっすぐに十字架に向かっていかれたのだと、理解しています。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事