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石ころ

飽きる



昨日はモニターのお仕事でお出かけをした。
次々と出されるものを試食をして、どんどん感想を書いて行く。でも、これはかなり大変。
ケーキ類が多くて、それは普通なら嬉しいことだけれど・・、そう、友人と楽しく話ながらだったら・・。

しかし、仕事となると食欲が落ちるのはなぜだろう。今思えばそれは緊張の所為もあるけれど、強いられ?て食べるということは苦痛なんだと知った。
私のダイエットの極意がわかったけれど、そんなの続かない。ひどく疲れるから。

また帰りも試食の食品を頂いて来て、夕食に食べて夜に感想を書く。当たり前のことだけれど、私の好みは関係なしとなる。
今日も宅急便で送られてきた。昼に家族で食べて感想を書く。
なんであっても、開発というものはものすご~く大変なんだと、そろそろ身に浸みてきた。


「好みが・・」って息子に言ったら、「お母さんに好みなんてないだろう」なんて暴言を吐く。「人をゴミ箱みたいに言うな・・。」ってつぶやいてみたけれど、彼からすれば確かに私は何でも食べるし、食品を捨てることは滅多にしない。

少しの残りものなら食べることで片付けてしまって、「それを口に入れるな・・」って自分自身に叫ぶ瞬間がある。だって、私の育ったころは「もったいないから残さずに食べなさい」と叩き込まれたのだから・・。お釜の底にくっついたご飯粒もお湯で洗って食べた時代。

貧しい時代に育ってきて、食べ物のありがたさはよく知っている。今も、世界にはあの頃の日本のようにお腹を空かせている人たちが沢山おられる。
嫌いだとか、飽きたなどと粗末にすることは罰当たりなことと、自然にそんな風に思ってしまう。


「食べ飽きる」なんて勿体ないことだろう・・。しかし、確かに飽きることがあるんだ。
それにしても不思議な事だと思う・・。家族は母親の作った食事に飽きることはない。時には生まれてから死ぬまで同じようなものを食べているのに・・。しかし、他人の作ったものには飽きる。

家族で試食をしていると、その反応はそれぞれ違う。主人が「美味しい」と言っても、息子は「ちょっと・・」と言い、息子が「美味しい」というものは主人にはうけない。
これは重大なことなんだろう。多くの人に好まれないと商品として成り立たないだろうから・・。

昨日の説明の中で「和食はあまり作らないようにしています。お袋の味には勝てないし、家庭の食卓に踏み込んで行くようで・・」
なるほどって聞いていた。だから、作られたものが食べつけないものになるのだろう・・。創作料理というものの難しさを知る。本当にこれだとずっと飽きることとの戦いだろうなぁ。


飽きると言えば、先日スーパーの安売りの洗剤を見て悩んだことがあった。それは新しい商品なのに破格に安くなっていたので、ちょっと戸惑っていたのだ。
すると、若い女性が声を掛けて下さって

「大丈夫ですよ。私が昨日店員さんに説明してもらったところに拠ると、単に棚卸しの商品と言うことらしいです。」
「ありがとう。そうですよね、ちゃんとしたメーカーのものですものね」
「とても安くなっているので箱買いでどうですか、と勧められたのですが・・」
「それはちょっと・・ですね。今は洗剤にも飽きがきますから。」
「ああ、それは言えますね。」
ということで、結局一個買っただけだった。なんとなく買う気がなくなってしまって・・。

これも不思議な話で、ただ汚れを落とすだけの洗剤なら飽きるなんて問題は起こらない。洗濯は生きている限り続くので、そのためだけなら飽きるなんてあり得ない。
高機能な商品が増えるに従って、その付加価値に飽きが来るんだ。こうして開発の泥沼に嵌って行く・・。本当にお疲れさま。

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