石ころ

静まりて我の神たるを知れ(2020.10.6)

 

サウル王は、神の命令を守ってサムエルを待つことが出来ずに、永遠に確立されていた王国を失った。
主を待つことは、どんな働きにも勝る信仰の告白でもある。

 

弟子たちが、嵐の舟で寝ておられるイエスさまが目を覚まされるのを、震えながらも待つことができたら・・、どんなにイエスさまをお喜ばせしたことだろう。

 

汝ら静まりて我の神たるを知れ (詩46:10)

 

文語訳のみことばを信仰の初めに教わった。待つ必要を感じた時にはいつも口をついて出て来て、声に出すとほっと肩の力が抜ける。

キリストの恵みを経験して行く中で、どんどん明らかになるのは自分の無力さであった。それゆえすべてを主に依存して、みことばの保証を求めて待たねばならなかった。
そんな中でも、遅きに失したことを一度も経験していない。何も持たない者の捧げものは主を待つ「時」

 

わたしは、わたしの勝利を近づける。それは遠くはない。わたしの救いは遅れることがない。わたしはシオンに救いを与え、イスラエルにわたしの光栄を与える。(イザヤ46:13)

 

沈黙の間にもご真実な神の良きご計画は、天にも地にも着々と備えられてあり、そこには世の知らない平安が待っていて、神の勝利が輝いている。


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