石ころ

天の礼拝(黙示録4章)

 

私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」(1)

 

黙示録は神が、ヨハネを通して全人類に知らされた「この後、必ず起こる事」である。

 

たちまち私は御霊に感じた。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、
その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹があった。
また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。
御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊である。
御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。(2~6)

 

天の礼拝のようすを、ヨハネを通して神が知らせてくださったのは、私たちが何も知らない者であることを、教えるためでもある。
人の常識では想像もできない天の礼拝を垣間見せてくださったのは、私たちが神も、キリストも、聖霊も、分かっていることなど何もないことを教えるためである。

聖書を知識や言い伝えによって早合点しないためである。私たちの小さな頭、頑なな心には、天地創造の神はあまりにも大きすぎるからである。

 

第一の生き物は、獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空飛ぶ鷲のようであった。
この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に来られる方。」(7~8)

 

人が神の御姿を見ると死ぬ。それゆえ御子イエス・キリストが私たちの地に来てくださり、愛の神の本質を見せてくださった。

弟子は親しくイエスに触れ、近しくみことばを聞いて足を洗われ、よみがえりのイエスを500人以上の弟子は見て、使徒は一緒に食事もしている。私たちはイエス・キリストによって神に愛されていることを知った。

 

御座のまわりの聖い生き物は、全身の目で神を見て、見て、見て、見ていることが許され、その栄光をすべての目で、昼も夜も絶え間なく見ていて、万物の支配者である方を「聖なるかな。聖なるかな。聖なるかな」と全身でほめたたえる。

 

また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、
二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。
「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(9~11)

 

二十四人の長老は自分の冠を御前に投げ出して、たまわったいのちを捧げ続けて、ほめたたえる神の栄光と誉と力。その喜びは絶えることなく続き、すべての救われた者の感謝と喜びによって、造り主なる神への礼拝は続くのである。


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