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石ころ

「ダビデとウザ」の誤りについて


 先日の集まりにおいて、このブログで過去に掲載した「ダビデとウザ」という文中の間違いに対して、主が兄弟姉妹を通して導きを与えてくださいました。
その指摘は人から人へと渡って、とても分かり易く私に帰って来ました。

みことばを語り伝えて行くとき、主は忍耐をしてくださっている事をいつも感じています。でも、感じているというレベルではなく、よく吟味をして主のみことばを伝えるべきであると、改めて知らされました。

 ウザの罪は、神様の律法を軽く見たダビデから出たことであり、ダビデの罪はそのダビデの選択を正しいと見た全員にもあるのです。主を軽んじたのはウザだけではなく、ダビデにもあり、賛成をした者にもありました。
私はこうした聖書の記述に注意を払うべきでした。

そもそも私が、あの中でダビデを正しいとしたことは、聖書のことばに対して不注意であり、全体を通して見ず、自分の好みにあった部分を取り出してしまったからだと思います。
私は喜び踊るダビデの姿が大好きなのです。

 主は、ある人には私の誤りを覆っていてくださったのだと思います。でも、あからさまにされたときに、覆いよりも神と人の愛の真実を感じています。
恐れるべきは、旧約聖書において、ウザが落とすまいと手を触れただけで不敬の罪で殺されなければならなかったほどの神の箱が、今はみことばとして、私たちの手に委ねられてあることだと気づかされました。神様の赦しと忍耐の中で・・。

それにしても、みことばをこのように分かち合うことを赦していて下さる主に感動しています。集った者だけではなく、その場にいない方からも教わることができて、恵みを頂く事はとても幸いです。感謝いたします。

きっとこれからも間違いを犯すでしょう。でも、再びこのように交わりの中でみことばを分かち合って下さるなら、それもいいなぁ・・なんて懲りていませんね。

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