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石ころ

ふたつの交わり



月曜日は、何時もの火曜日の形のままにお客様方も交わって下さった。
キリスト者の交わりは心地よくて楽しい。なぜならそこにイエスさまが見えるから・・。
それぞれ自分の言葉でみことばを語り、イエスさまをほめたたえ続ける場所、イエスさまが解き明かしてくださる所は、光りの中に居るような明るい喜びに満ちている。

そりゃ・・すべての言葉が完全に通じ合うわけではなくて、少々もどかしく感じるときがあり、変な間違いがあったりしても、イエスさまは待っていてくださる。絶望しなくても良いのだから。
イエスさまは、時をかけてすべての誤りや誤解からも、主を知ることができるように導いていて下さるという望みがある。イエスさまに希望がある楽しさ。


今日、スーパーでAさんにばったり出会った。
彼女いわく、「ねえ、遊びに来て・・イエスさまだけの関係ではなくて、もっと普通の友人として行き来したい。」
「つまりイエスさま抜きにしてってこと?」
「イエスさまのことを知りたかったら、あなたにではなくても、教会に行けばよいわけでしょう。
私はイエスさまは今も変わらずに信じ居るけれど、信仰を反対している主人を裏切るような気がして、聖書をもってあなたの所に行くことはなんだかしたくない。もっと普通のお友達ということで、行くのだったら主人にも悪くないし・・
そんな中でもっと自然にイエスさまのことを知ることが出来ると思うから・・」

「でも、それだったら私が尋ねていくときは、心にイエスさまを伝えたいという企みを、ご主人に隠して行くってことになるね。私にはそれはできないわ。
私はイエスさまのことを抜きにしたら、おしゃべりをしても何もないよ。Aさんにイエスさまが必要になるまで私は待っているわ。今は必要が無いと言うことだと思うから・・。イエスさまを抜きにされたら私は抜け殻だよ・・。」

分かれた後なんだかすごく悲しくなった。困難なとき彼女はあれほど熱心に聖書のお話を求めていたのに・・。今はなにひとつ不自由のない中で、自分好みの関係を求めている。
単車で走りながら「主よ。彼女をお赦し下さい。彼女が何を否んでいるのか知ることが出来ますように。」と祈る・・。

「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」ピリピ1:21

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