人はどうして、人をいじめるのだろう・・
子供がどうして、子供をいじめるのだろう・・
どうしてみんなで、一人をいじめることが楽しい?のだろう・・
それは、とっても重い病気だよ、心がボロボロだよ、どう考えても普通じゃないよ。
心がボロボロなのに痛まないことは、血を流しているのに気が付かないなんて・・それは病気だよ。
どうしてみんなで束になって、いじめることが強いことなのだろう・・
どうして一人で耐えているのに、弱いと言われるのだろう・・
なんか話が変だなあ・・
みんなで行動するのは、弱いからなのじゃないの?みんな心細いからだろう、不安で仕方がないのだろう・・
いじめっ子の親はどうして「うちの子は病んでいる」と嘆かないのだろう・・
一人で耐えることの方がずっと大変なのに、ずっと大変なことをしているのに、なぜ、いじめられている子の親は「すごい!」とほめて上げないのだろう・・
誰かがほめて上げたら、誰かが「すごいことをしているんだね」と言ってくれたら、死なないだろうに。自分に絶望する必要なんかないことに気が付くのに・・
でも、本当はね、造り主の神様を見失って、大人も子供も、人はみんな動揺しているんだよ。
誰だってイエス様に見つけてもらうまで、恐くて、不安で、空しくて、右往左往して居るんだよ。
親にはぐれたペンギンみたいに、あちらで小突かれ、こちらで小突かれて、自分を見失ってしまうんだよ。
早く「イエスさま!」と呼んでごらん、穏やかないのちに満たしてくださるから。
イエス様の名を呼んだら、確かな望みが見つかるから。傷は痛みを取り戻すけれど、優しく癒してくださるから。
イエス様は病人のところに来て下さるんだよ。
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事