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石ころ

息子と聖書を読む


息子が実家に戻ってきた週末には、一緒にルカを通読している。今日は6章山上の説教の箇所。


「しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。
あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。
すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。」ルカ6:27~30

私 「出来る?」
息子「少しは」
「少しでも良いから、この方向に向けて努力しなさい。とは書いてないよね。私には無理」


わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。
その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。
聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。ルカ6:47~49

「聞くだけで実行していない人は、人生に何かが起こった時には、信仰はもろく崩れると言うことではないかな・・」
「しかし、どうしてイエス様は、出来ないことを言われるのだろう。私たちをよく知って居られるはずなのに・・」

「できない・・・。人には出来ないけれど、神には出来る」
みことばがあったね。二人で聖書を繰って探す。


「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」
マルコ10:17、ルカ18:27、マタイ19:26にあった。

「もし、このみことばがなかったら、このルカ6章のこの箇所は空しいね」息子の言葉に、「本当にそうだ」と思う。敵を愛することも、憎む者によい行いをすることも、自分では出来ないけれど、その時その時祈りに答えて、みこころを私たちに行わさせて下さるイエス様の助けがあるから、私たちには望みがある。救いも、その後のみこころを生きることも、私たちを知り尽くすお方と一緒なら恐れることはない。

二人で感謝をのお祈りをして、私は洗濯。息子は、大きな望遠カメラを持って、大川へ鳥の写真を撮りに行ってしまった。

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