終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。
そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、
情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、
裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、
見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。(1~5)
世の終わりに近付くに従って、人の世はますます悪が蔓延るようになる。人が進化して住みよい社会に成って行くのではない。
しかし、信仰者の困難は「弱さの中に完全に働く神の力」が現れる時である。
その悪い者を「避けなさい」とある。その裁きを主にお委ねして、みことばに身を避けて「自分の救いを達成すよう勤める」ことである。彼らに伝えるべきことばは、すでに語り尽くされてあるのだ。
いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たち(7)
とあることは悲しいことである。それは学んでいることが、聖霊の導きによる神のことばではないからである。神のことばと、人から出た言葉が、混ざり合って真理を知ることは無い。
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。(Ⅰペテロ2:2)
あなたは、私の教え、行動、計画、信仰、寛容、愛、忍耐に、またアンテオケ、イコニオム、ルステラで私にふりかかった迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。(10~11)
その善きものは、すべてキリストがもっておられるものである。この方がキリスト者の内から導いてくださる力によって、事を成し遂げさせてくださるのである。
何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくださいました。
確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。(11~12)
パウロのあった迫害は、神の完全な守りを、彼とその弟子たちに経験させるものであって、今私たちが読んで、主に信頼と感謝を深めることでもある。
敬虔に生きようと願う者が受ける迫害も、其処で主の助けを経験して、すべてのことが神から出ていることを確信し、用いられる光栄に霊は歓喜するのである。
主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。(申32:10)
あなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、
また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。(14~17)
キリスト者の守るべきものは、どのような状況でも、どのような時代にも、どのような敵に対しても、ただ一つ。
聖霊が導かれるみことばである。そこに身を避けて安息し、従順して聴いたままを語り、主を喜びほめたたえて、みことばの通りに、主に見(まみ)える日を待ち望んでいるのである。