石ころ

罪の嵩

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 パリサイ人の家に、食事に招かれたイエスさまを求めて罪深い女がやってきた。
女はイエスさまの足を涙で洗い、髪の毛で足を拭い、口づけをして温め、香しい香油を注いだ。
イエスさまは、女の感謝の表現にご自身をお任せになり、されるままになさった。

イエスさまを招いたパリサイ人は、この女の行為を嫌悪しただろう、不道徳な女の為すがままにしておられるイエスさまを心で責め、女を受け入れる主を侮った。
人は朱に交われば赤くなる。不道徳な者と交わることは、清い者のすることではなかったから・・。

 しかし、主は病人を癒す医者としてこられた。人の罪を負うために、聖い天から罪に汚れた世にくだって来てくださった。そう、糞尿の家畜小屋に生まれてくださった。
イエスさまはご自身を必要としている人に来てくださった。人の世で悔いの涙を流す者を、あがないの十字架に負ってくださるために・・。

 このような女が、どうしてパリサイ人の家に入ってくることができたのだろう。そこに待ち受けるものは軽蔑しかないのに、そんなことは恐くて出来ないはずであるのに・・。イエスさまはそれをこの女の信仰だと言ってくださった。主を求める勇気を・・。

イエスさまに、お会いすることが出来れば赦されると信じていた女。感動の涙で洗い、女のいのちの髪の毛で主の足の泥を拭う時、自分の罪を拭って頂いた感謝が溢れていたのだろう・・ひざまずいて足に心からの口づけをして、財産の香油を捧げた。
この女だけがイエスさまの必要を満していた。罪ある女だけが・・。

人のなすがままに受け入れてくださるイエスさま。誰であろうと、何処であろうと、イエスさまを愛する行為が拒まれることはない。
おおらかな感謝の表現を制限されることはない。いや、主は喜んでくださる!
罪の縛りから解放し、救いの喜びによる拙い愛をも受け入れ、信仰に生きるようにと、みことばをもって未来を保証してくださる。

イエスさまは女に「あなたの罪は赦されています。」「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」(ルカ7:48.50)と言われた。

完全な赦しは罪の傷痕を癒し、信仰を認められた喜びは他の何ものにも代え難く、安心しなさいとは未来の保証。
この女がその後の人生をどれほど満足し、主にある誇りを持って生きて行くことができたかは見なくてもわかること。

 女は罪の嵩だけ多く赦され、感謝は赦しの分量に応じて深かった。この女の幸いは自分の罪がわかっていたこと、多くの赦しを必要としていたこと。
イエスさまの周りにはいつも罪人が集まってきた。病人は癒しを求めて医者を探し回ってでも訪れる。
自分の罪の病を知って御前に行く者は幸いだ。
滅びに至る病は自覚症状がほとんど無いから恐ろしい。パリサイ人たちのように・・。


だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)

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