石ころ

不信仰な私をお助けください



 愛する子に食べさせようと、手を尽くして実に新鮮な美しい魚を手に入れました。料理人を雇い、最上の料理に仕上げるようにと十分に給金も支払い、丁寧に頼みました。
しかし、待てど暮らせど料理は出来上がりませんでした。

料理人がその魚に手を下すことが出来なかったのです。
彼女は料理人の腕が心配で魚の側を退かなかったからです。とうとう彼女の心配によって魚は腐ってしまい、美味しさを味わうことはできませんでした。
依頼しても任せ切ることがなければ、どれほどお金を積もうとも、どれほど丁寧に頼もうともその味わいを知ることはできないのです。


 祈ることは簡単でも、主に完全に信頼して安息することは簡単ではないのです。
暮らしの中でみことばに信頼して、イエス様に飛び込むように一度二度と主のみわざを経験する内に、大きな問題も安心して、御手に渡すことができるようになるものです。

イエス様さまは神の元から来られた教師です。そう、なにしろ私たちを知り尽くしておられ、ただ、良いことだけを計っていてくださるお方です。
私たちが信仰の無いことを訴えるとき、ご自身の信仰を分け与えて育ててくださいます。

ただ、主の方法に完全にお委ねし、私たちは安心して休まなければなりません。それまで私たちの積み上げてきたものは崩され更地にされるでしょう。キリストという土台の上にその願いが建て上げられて行くためです。
主に信頼して休めますように。


するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」するとすぐに、その子の父は叫んで言った。
「信じます。不信仰な私をお助けください。」(マルコ9:23~24)

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