石ころ

あなたの足の靴を脱ぎなさい(ヨシュア記5章)

 

イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、その月の十四日の夕暮、エリコの平野で過越の祭を行った。
そして過越の祭の翌日、その地の穀物、すなわち種入れぬパンおよびいり麦を、その日に食べたが、
その地の穀物を食べた翌日から、マナの降ることはやみ、イスラエルの人々は、もはやマナを獲なかった。その年はカナンの地の産物を食べた。(10~12)

 

恐れによって神の選びの地を拒絶した荒野の40年間、主はイスラエルの民を天からマナを降らせて養われた。ヨルダン川を渡って備えの地に辿り着くまで、不従順の民を養い守ってくださったのである。

 

今も、天地創造の神を受け容れない人々であっても、神の恵みを受けずに生きているわけではない。空気やあらゆる地の産物のすべて、命のための神の備えによって万物は生かされているのである。

 

天地の絶妙の備えによって地の環境は造られてあり、それらのバランスが少しでも狂うと、たちまち生物は滅びることになる。すべては人を愛してくださる神の守りに在ることである。

 

ヨシュアがエリコの近くにいたとき、目を上げて見ると、ひとりの人が抜き身のつるぎを手に持ち、こちらに向かって立っていたので、ヨシュアはその人のところへ行って言った、「あなたはわれわれを助けるのですか。それともわれわれの敵を助けるのですか」(13)

 

ヨシュアの質問は、リーダーとして民の命を負う者の責任から出たことである。神々しいお姿抜き身の剣を見ても彼は恐れて退くことをせず、神に選ばれた者に在る権威に信頼して、御前に出たのである。

 

ヨシュアもモーセのように主が良い方であることを信じていた。神を恐れるだけではなく、彼は主に行く道を尋ね、民の必要を求め続けなければならない。その勤めを全うする者を、主は親しいお交わりに招いてくださるのだ。

 

彼は言った、「いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」。ヨシュアは地にひれ伏し拝して言った、「わが主は何をしもべに告げようとされるのですか」。(14)

 

ヨシュアは即座に平伏してみことばを求めた。万軍の主が味方であることを知り、成すべきことが何であるかを教わろうとしたのである。

 

すると主の軍勢の将はヨシュアに言った、「あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である」。ヨシュアはそのようにした。(15)

 

ヨシュアは今まで自分で選択して進むべき方向を選び、自分の速度で歩き、彼の正しさを生きて来た。主が脱げと命じられた靴はそのすべてであった。

今からは主の命じられる道を、主が備えられた足で歩むのである。こらからは自分の靴が守る道ではなく、主の計画に拠って聖なる道を歩み、彼の足を導き守られるのは主なのである。

 

神の聖さを人は知らず、その永遠の計画も人には測り知れないゆえに、主に従うときはすべてが新しくなる。ヨシュアはすぐに聴き従った。


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