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石ころ

献金

イエス様は献金箱に向かって座り見ておられた。(マルコ12:41~44)ひとりの貧しいやもめがレプタ銅貨2つを捧げるのを見るために。それは、彼女の生活費のすべてであることをご存じだったから。

捧げた後はどうするの、生活費のすべてということはもう何もないということ。捧げてしまっては生きていけないだろう。彼女の心は
「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」(ピリピ1:21)なのだろう。いのちを捧げた。それをイエス様はちゃんと見とどけられた。

でも、このレプタ2枚は、証のために神様が彼女に残しておいてくださったものなのだと思う。エリヤを養ったやもめに、一握りの粉を残して下さっていたように。(Ⅰ列王記17:9~15)
捧げものは神様が準備してくださる。「主の山の上には備えがある」(創世記22:14)

神様が準備して下さったものをどのように使うか、それをイエス様は正面に座って見てくださっている。彼女にレプタを1枚ではなく、2枚残してくださっていたことに神様の深いご愛を感じる。彼女が最善を選んで捧げることができたから。

此処を読んでいたとき息子は言った。「出来ない。」「そう、私にも出来ない。」でも、「人にはできないことが、神にはできるのです。」(ルカ18:27)このみことばに望みがある。きっと私にも証のチャンスを残して置いてくださる。レプタ銅貨を2つ。

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