昨日カオリンさんとお話して居て、「手や足を切り捨てて従うことも素晴らしいことじゃない。」って言われて、「ああ、そうだ!」ってとても感動した。捨てた数は主への告白・・
五体満足で従う以上に満身創痍になるほどにすべてを捨てて従うことも、主の強者なんだろうって・・
その後、ペテロの言葉を思い出した。
ペテロがイエスにこう言い始めた。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」
イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。(マルコ10:28~30)
でも、彼は次は失敗をしている。
ペテロはイエスに言った。「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」
イエスは答えられた。「わたしのためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」(ヨハネ13:37~38)
捨てさせて下さるのも主であって、主の赦しと守りの中でこそできること。すべての良い行いには、その源が主からであることが不可欠なんだと思う。
主から出た事には、その時には幾ばくかの痛みを覚えるけれど、切り捨てた後に痛みが続くことは一度もなかった。主は癒し主なのだから・・。
また、本当に失われたままで終わったこともない。主にあって家族を捨てたこともあったけれど取り戻して下さった。主は捨てる喜びをも経験させてくださっている。
ペテロのようにちょっと得意げに「御覧ください!」って話せることはどんなに嬉しいことだろう。
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