私はみことばを開いた後はお祈りをして、たいがいはすぐに帰ってしまうのだけど、今日は昨日作りたてを頂いたあん餅のお礼から、漉し餡の作り方に話が及んで聞き入ってしまった。あまりの煩雑な手順と、そのきめ細かな心配りとを聞いていて、ただ、食べ物を作ることが好きだ、と言われる言葉の奥にあるものに気づいた。
彼女はそれらを作るときには、嫁いでおられる娘さんを呼んで一緒に作り、技術のすべてを教えている、と言われた。
そこで、私が「早くにお母さんを亡くされたけれど、お母さんから受け継がれたことだったのですか。」と問うたときに彼女は涙ぐまれた。
少女時代には、お母さんのそばで何時も見ていたけれど、それからすぐにお母さんは体が不自由になられて、とてもきついお嫁さんに辛く当たられ、彼女はお兄さんの子どもを背負って、体の不自由なお母さんのお世話をするばかりの娘時代であったと話された。その頃あまりに辛くて、お母さんを疎ましく思ってしまったと涙を流された。
私は、手八丁口八丁の彼女しか知らなかった。彼女の弱さによる深い後悔、その悲しみを知って胸を打たれた。彼女の作る料理にはそんな人生の深い味わいがある。一生懸命に生きてきた人の、細やかで熱心な試行錯誤が形になって、人を喜ばせる味となっている。
人は弱くて、その弱さの故に後悔や傷をいっぱい持っているけれど、それらを、その悲しみをイエスさまはすべて知ってくださるために、人となってマリヤのお腹に来てくださり、いっしょに生きてくださったのだと思った。そして今も、そのように弱い者と共に生きていて下さる。
そして、イエスさまは荒々しく過去のかさぶたを引きはがすような触れ方ではなく、薄紙を剥がすようにゆっくり、でも、確かに私たちの傷を癒してくださるお方。だから、もう大丈夫!
彼女は、今の幸せをおかあさんの写真に向かって「安心してや」と言っていると、とても良い笑顔で話して送りだして下さった。
「彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。」(ヘブル5:2)
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