石ころ

敗戦の日に思う

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テレビで神風特攻隊の記録を見ていた。フィリッピンで初めて神風特攻隊を計画した人の真意が語られていて、その初めて聞いた言葉は衝撃だった。
「天皇にこの事実が伝わったとき、此処で戦争を終わらせてくださるように」との考えがあったとのこと・・。

しかし、事実はその真意から全く違った方向に行ってしまった。
それは英雄扱いされて、死ぬことだけが美化されて行ってしまった。

そこにある感情的な陶酔は、どうにもならなくなってしまった現状の逃避。しかし、ひとり酔えないのは死を強いられた若者たち・・。
眠れずに一晩中目をぎらつかせて座っていた・・という。あまりに惨い、あまりに惨い。

こうした過去の痛みが、テレビで語られるのはなぜかほとんどこの時期だけ。振り返るべきことがスルーされてゆく国。
今、この国土の周辺でざわざわと押し寄せてくる波は高く、まるで国土を浸食してゆくかのよう・・。その音ばかりを聞いていると、問題の本質を単なる感情論にする変えられてしまう恐れがある。

 何時までも過去にこだわって、自立できていないのではないかと思う国もどうかと思うけれど、人の痛みはいじめた方にはわからない。誰だって傷つけられたプライドの痛みは、察することができることである。

誰かのひとことですむ問題ではなく、長い時をかけて聞いてあげることも大人の態度なのだと思う・・。そう、ちゃんと聞くことは、個人であれ国であれすべての関係の基本だと思う。何度でも繰り返して聞いてあげるよ、そうして何度でも悪いところは謝ってあげる。気の済むまで・・。

植民地政策ってどこにでもあることで、もっと酷いことをしてきた国がある。って次男が言っていた。確かに私は自分の身の回りで見たこと聞いて来たことでしか判断していないけれど、それは比べられる問題ではないと思っている。
また、ずいぶん良いこともしてあげたって言う言葉も聞いたけれど、誰が勝手に我が家に入ってきた人に、家の模様替えや子供の名前まで変えられて喜ぶ者が居るだろう・・。

それらを柔らかく受け止めて共に新しく生きる忍耐強い道が無いのだろうかと・・思うのだけれど・・、
まあ、人間関係においては、互いに一目置ける存在であれば譲り合うことも易しいものであるから、国同士でも互いに尊敬される国であってほしい。互いが必要であり、互いが助けになるならそれは核軍備に勝ると思う。

私は70歳を過ぎているけれど直接戦争を知っているのではない。けれども、戦争によって財産も両親も奪われたようなもので、愛されて生まれてきたのに、十分な教育を受けて育てられる環境を奪われてしまった。

私は戦争を憎んでいる。悲しんでいる。どんなに忍耐を必要としても、どんなに知恵を絞ってでも、二度と二度とそんな悲しいだけの戦争は起こしてはならない。何があっても殺してはならない。殺されてもならない。
若者たちに人を殺させてはならない。そんなところに追い込んではならない。

一人一人が注意して、時に感情をかき立てる誘惑に乗ってはならない。そこには近づいてはならない。悪魔の差し出す死の実は、いかにも好もしく賢そうに見えるのだから・・。

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