石ころ

「神を恐れ、神をあがめよ。」(黙示録14章)

 

また私は、もうひとりの御使いが中天を飛ぶのを見た。彼は、地上に住む人々、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音を携えていた。
彼は大声で言った。「神を恐れ、神をあがめよ。神のさばきの時が来たからである。天と地と海と水の源を創造した方を拝め。」(6~7)

 

主を知る者は「アーメン」とみこころのみを求めて、神の永遠の約束のことばを受け取り、身を投げ出しひれ伏し礼拝するだろう。全世界に知らされるこの厳かな声を聴く時・・。


今、このみことばを読む者も心を合わせて礼拝している。
祝福は天地創造の神を恐れることから始まり、さばきは造り主なる神のみことばに、聴き従わないことから始まる。

 

また、第二の、別の御使いが続いてやって来て、言った。「大バビロンは倒れた。倒れた。激しい御怒りを引き起こすその不品行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた者。」(8)

 

人が神の前に犯す不品行は、第一に神々を作りそれを拝んで自分自身を委ねることである。人は創造主なる神の作品であり、人が認めようと認めなかろうと造り主のものであるから。

人々を力によって偶像を拝ませた、大バビロンは何であろうと神に極度に憎まれ永遠のさばきを受ける。
信仰の初期に聞いた分かりやすいメッセージを思い出した。

 

「自分の子供が、誰にでも『お父さん』と呼んで付いて行き、色々な願い事をして親しむなら、怒り悲しまない父親がいるだろうか。父親はいつもあらゆる良いものを与えて愛し、命を養って来たのだ。」このようなお話だった。
それは父の権威を踏みにじる行為であり、まして、天の御父はひとり子イエスの命まで与えてくださったのである。

 

また、第三の、別の御使いも、彼らに続いてやって来て、大声で言った。「もし、だれでも、獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けるなら、
そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。(9~10)

 

聖書を読んでいる者は、世に依存して生きるための刻印を許す行為が、「神の怒りのぶどう酒を飲む」事であると知ることができる。
そのために神はヨハネを用いて知らせてくださったのであり、彼らは知った上で選択するのである。その結果がどのようなものかも、聖書から知ることができるようにされた。

 

そして、彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。
神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。」(11~12)

 

キリストが内に住まわれる者はキリストの心を持っており、主が十字架の血をもって贖おうとされた人々が滅ぶ時、その虚しさや悲しみに耐えつつも、なを、みこころの成ることに希望を持ち続づけて、神のご計画に信頼して望みを持ち続ける忍耐が必要なのである。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事