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石ころ

祈り ②



 以前、信仰の姉妹と議論したことがあった。例えばリボンを求めるとき、「ピンクのバラの花柄のリボンが与えられますように」と祈るという姉妹に、私は「私に似合うリボンを与えて下さい。」と祈ると、そんな議論を繰り返したことがあった。今思えばそんなことはどちらでも良かったんだと思う。

 祈りはすべてイエス様を通して神様に届くのだから、イエス様は最善を神様に届けてくださる。将来のことなど、本当は自分にとって今何を準備することが必要なのかなんて、ちっとも分かってはいない私たち。そんなことをよくご存じのイエス様が、私たちが何を願ったからと言って、そのとおりになどなさるわけはない。お任せでも詳細に願いを申し上げても同じ事ではないだろうか。

 それでも、私の考えは少し変わってきた。やはり、詳しく望みを申し上げた方が得かも知れないと・・・。イエス様はあまりにも私たちを良くご存じだから、そして憐れみ深いお方だから、ピンクのリボンではなくブルーのリボンを与えるとき、神様に賜った完全な選びを、私たちが喜んで受け入れることが出来るようにと、ハラハラと気遣ってぴったりと寄り添って支えていてくださるだろう。そして後にブルーのリボンが上品で、より相応しいことを知って感謝を捧げるとき、お任せよりはイエス様との関係はもっと深いだろうから。

 私たち人間の弱さや愚かさをイエス様が細やかに心配してくださるのなら、そしてそんな弱さの中にこそ神様の力が完全に働くのだから、弱さをもっているということはとてつもない祝福なのだと思う。

 イエス様によって祈ったとき、すでに主は最善をスタートさせてくださっている。そして、それは決してこの世の様々な事情で挫折するようなものではなく、まっすぐに良い計画を成就してくださる。祈りから始まったことですでに失敗のない確かな歩みは完成していると。

「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。」(イザヤ48:17)

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コメント一覧

石ころ
「その最善とは、私個人の最善でもあり、キリスト及びキリストの体の最善なのでしょうね。」
アーメン。ああ、そうなんですね。気づかせてくださって感謝いたします。

足の指がかわいいでしょう。我が家の郵便受けに入っていた体長4センチほどのヤモリです。 我が家ではヤモリをすべて「お玉ちゃん」です。
日曜日を楽しみにしています。お体が守られますように。
emi
追伸
写真がかわいいですね。
emi
Re:祈り
私も病気になってから、主と積極的に関わることを学んできました。心の底にある願いをそのまま主に申し上げる。例えそのとおりに聞かれなくても、主は最善を成してくださる。その最善とは、私個人の最善でもあり、キリスト及びキリストの体の最善なのでしょうね。
良き主に感謝します。

日曜日、お会いできるのを楽しみにしています(^^)
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