石ころ

覚えて居てほしい


 何度も読んだ箇所だけれどルカ8章、ゲラサの男の箇所。イエスさまがお命じになった時、狂った男から多くの悪霊が豚の中に入って豚の群れが死んでしまった。
そのことによって、 豚という大切な財産をあっという間に失った人々は、イエスさまに此処から出て行ってほしいと言った。

彼らには、その時こそ、正気に返った男を見て救い主を知るただ一度のチャンスだったのだ。しかし、彼らにはそれが見えなかった、財産を失ったことでパニックになってしまったから・・。
イエスさまは時々、私たちに問われることがある。「あなたにとって、最も大切なものはなにですか?」

どの様に答えることも許されている。「此処から立ち退いて、私にかまわないでください。」と願えばそうされる。
私たちが目に見える財産に心を奪われていると、失ったもののことで心が占められてしまって、イエスさまがわからなくなる。

 誰でもこの世もあっては、何時すべてを失うことになるかも知れないのだから、大切なものを無くしたその時こそ、本当にイエスさまに出会うチャンスなのだと知って居て欲しい。

財産を失ったゲラサ人のようにパニックにならないで、主の時を逃さないために、イエスさまの御前に静まることを覚えて居て欲しい。
イエスさまを失った人は本物の墓場に住むようになるのだから・・。永遠の滅びという死の場所に住むことになるのだから・・。


 息子の出発の朝に、一緒に聖書を読んで少し話をした。はなむけの言葉として伝えたいことはひとつだけ・・。
良き備え、何の心配もないイエスさまのお守りの中に行くことをよくよく知って居るけれど、それを承知で伝えたいことがあった。


だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33)

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コメント一覧

ムベ
ダイエットさんへ
私は何と答えて良いのわかりませんでした。
でも、
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」のその義とは、

イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。(ローマ3:22)

何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。(ローマ4:5)

ということで、ひたすらキリストの義に拠り頼むことだと、私は思っております。
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