石ころ

みことばの約束に留まる(ヘブル11章)

 

ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。
あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。(10:35~36)


キリスト者の忍耐を支えるものは、みことばの約束であり約束の主を信じる信仰である。信仰は聖霊によって導かれ、うちに居てくださるキリストから出て来る。その時は、何を見ても聞いても絶望することが出来ない。


たとい心が揺れることがあっても、体がいうことを聞かない時があっても・・。聖霊に示されたみことばに止まって居る限り、私たちに御約束は成就される。主は御真実であり、私たちを知り尽くしておられるからである。


「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」
私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。(10:37~39)


義人とは誰か、キリストのみことばに止まっている人である。自分を見るとき恐れが入り込むが、キリスト者は主の救いの御わざに在って、キリストのうちに生きている者である。


信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(11:1)


イエスさまに信頼する者は主の保証がある。私たちの永遠の望みは約束のみことばに出会った日に、その約束を信じて喜んだ日に成就している。
ただ、忍耐を持って待つことは信仰の証として、御前に止まり、主を礼拝している時間である。みことばと同時に与えられるものには、信仰の余地がないからである。


信仰の先人たちはみことばの中に生き、目に見ていないものを確信して死に、今その約束のことばを見ている。


これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。(11:13)


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