初めに、神が天と地を創造した。(創世記1:1)
聖書はいきなり信仰から入る。分厚い聖書の1行目から、神が万物を創造されたという書き出しで始まり、信じられない人には此処で終わり、信じる人は「本当なの?」という驚きから始まる。
信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。(3)
無限に思える宇宙も数え切れない星々も、山も川も草木もすべての生きもの、そうして私たち人間も、すべて目に見える物は、人の目には見えない神の作品である。このことを人は、聖霊の導きによって聖書から悟るのである。
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(6)
神さまが、日々の良いこと悪いことあらゆる出来事を通して、人生に介入して呼びかけてくださった時、移ろうことの無い真理に渇き、きよさに飢え渇いている魂は応答する。助け主なる聖霊が信仰の一歩を導いてくださるのだ。
「あなたはわたしを愛しますか」
主の問いかけに、家族も、世の宝も、地位もすべてを忘れて「アーメン」と応答するなら救われる。
ひとりの人が、神の愛に幼子のようになって応えるとき、天では喜びが溢れるのである。この応答を信仰としてくださり、喜びの中で神の家族に入れられるのである。
信仰に入る時に置いてきた人々のことは、神さまのご用のために置いたのであるから、責任をもってすべてを顧みてくださる。このみことばが成就するのを将来見ることができるのだ。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。(使徒16:31)
神さまが人を愛してくださるのは、愛されるに相応しい行いによるのではなく、造り主の一方的な愛によることである。
私たちをキリストに在って救い出し、御許に置いてキリストの花嫁に相応しく育ててくださるのは神さまである。