石ころ

荒野の備え①(民数記1章)

 

エジプトの地を出て二年目の第二の月の一日に、主は、シナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げられた。
「イスラエルの全会衆を、氏族ごと、一族ごとに調べ、すべての男子を一人ひとり名を数えて、その頭数を調べよ。(1~2)

 

エジプトを脱出したイスラエルの民は、登録された兵士だけで60万人、ゆうに200万人以上の人々が、何も無い荒野を旅して2年目を迎えた。
神は、彼らの名を一人ひとり数えて、兵士となれる人口の調査を命じられた。

 

ダビデが、自分の権勢を誇るための人口調査をしたときは、罪として神から罰を受けることになったが、主が数えられるときは神の恵みや備えを知る時となって信頼を生む。

それは、神が環境には拠らず人を生かすことがお出来になるお方であることを、数字によって確認させてくださり、未だ信仰の頼りない者も、主に従い行く時の備えを知るからである。

 

神は「民の数はおよそ200万人くらいで、兵士はその三分の一位」などと概算することをせず、一人ひとりの名を呼んで数えさせられるのは、すべての人の造り主だからである。

主は、個々に唯一の存在として名を呼んでくださる。そのとき主に在る自分の価値を悟るのである。役に立とうが立たなかろうが、他のものではない名を呼んでくださるということに、主に覚えられている者の喜びがある。

 

それは人の評価に拠らず、神に造られた故に存在することの許しであり、内に主が備えてくださった成すべきことを、人の評価を恐れずに行う力となるのだ。

 

だが今、主はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。」(イザヤ43:1)

 

主は世の荒野でキリスト者を養われる。弱さも不信仰もご存じの中で愛と忍耐によって、みことばを解き明かして信仰を成長させ、日々の試練の中で訓練して役立つ者としてくださる。世の荒野の、霊を潤す水も食料も無い所で、より頼む者を養い成長させてくださるのである。

 

 私は四十年の間、荒野であなたがたを導いたが、あなたがたが身に着けている上着はすり切れず、その履き物もすり切れなかった。(申29:5)

 

キリスト者には、みことばに従って進む道に主の備えがあり、いのちを養うパンを備え、イエスも共に歩いていてみことばを語り、私たちが願い求めるなら解き明かしてくださる。

 

彼らが、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています」と言って強く勧めたので、イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。(ルカ24:29)

 

しかしイスラエルの民は荒野で、衣や履き物が擦り切れないことに気づいて、主を礼拝したであろうか、感動して御名を褒めたたえ、主が居てくださる旅を喜び、安息していたであろうか。

 

日々に神の奇跡の中に生かされていながら、霊の目が開かれていないと自分の身に起こている奇跡には気づかない。

見てもいないキリストを信じて御救いを確信し、命をお任せすることほどに大きな奇跡はないのだけれど・・、そのことにどれほど感動しているだろう。

 

神の日々の守りは、禍が起こる前に道を避けさせ、飢える前に備えてくださる。奇跡を求める時は、どれほどの守りの中で生きていても、事実それを目の当たりにしていてもうっかりと過ぎ去らせて、主に満ち足りることは無く、キリストの臨在を悟ることが無いのではないか。

 

そのとき、律法学者、パリサイ人のうちの何人かがイエスに「先生、あなたからしるしを見せていただきたい」と言った。(マタイ12:38)


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