「キリスト教の神はずいぶん狭量・・、」
罪に対して曖昧に処理できない故に、そうだと思います。
だから、「これは私の愛する子」と言われたひとり子イエスに、
人間の罪を全部背負わせて死刑にすることになってしまったのです。
しかも、人類の罪をすべて負わせたひとり子を、その罪の故に完全に見捨てました。
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
これはイエスの十字架上の叫びです。
狭量な神が人を受け入れるには、罪の完全な解決が必要だったのです。
罪が赦されるには、その罪の代償が必要です。
汚れが清められるために、汚れが処理されることが必要です。
狭量な神は、それをご自分の愛するひとり子に負わせました。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)
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