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石ころ

虹色の蜘蛛の巣



 まるで、一日の内に季節が激しく巡るような・・そんな蝉の声。
朝のさわやかな空気の中で「カナカナ・・」とヒグラシが鳴き、強い陽差しの中で、「ミーン ミンミンミン」とミンミンゼミやアブラゼミが鳴く・・、夕立前の陰りの中では「ツクツクホーシ ツクツクホーシ」が鳴いている。
時には、総出で・・とにかく賑やかな山里の8月もいよいよ終わる。蝉の声を聞けなくなる日もそう遠くはないだろう・・。

 大川の川岸には多くの人々が集まり、色彩豊かに群れて水遊び。夏休みが終われば人の姿を見ることは、グンと少なくなるけれど・・。
ただ、毎年のように水難事故が発生していることは悲しいこと。川はプールなどと違って、突然に深くなったり、突然流れが急になったりと、地形に慣れていないと危険なことも多いから・・。

 
 使徒21章では、パウロは2度にわたって、人を介して「エルサレムにはのぼらないように」という忠告を受ける。それが御霊からの忠告であると教えるけれど、パウロの答えはいつもきっぱりとしていて、なんの躊躇もみられない。
パウロには、自身の歩みの全体像が明確であった。それはすでに彼自身が、聖霊によって聞いていたことであったからである。

「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。
ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。
けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」(使徒20:22~24)


 イエスさまが、十字架をご自身で選び取られ、死に向かってエルサレムに上られたことを思い出す。イエスさまでさえ御使いの励ましを受けて進まれた。
パウロもまた、聖霊によって導かれ、自らその縄目に立ち向かうことができたのだろう。

 そこは誰であれ人の関わることの出来ないところ。ひとり神と向き合うところだから・・。だから、そのときイエスさまは恐ろしくひとりぽっちだったろう・・。
パウロも多く人に囲まれていても、おそろしく孤独だっただろう・・。人にはただ、彼の頑固さだけしか見えなかっただろうから・・。

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