イエスさまや使徒たちに人々が驚いたのは、知恵のある教えや力あるわざを行うのが、ナザレの田舎の大工であったり普通の漁師であることだった。これは何処から得たものなのか・・、という驚きであった。これこそ主のご計画に拠ること。
神のことばは学者が教えるものであり、専門家が人の資格によって語ることであった。しかし、イエスさまはそれを覆されたのだ。
父なる神のご計画によって大工の家に生まれ、普通の人と同じように成長して、神の言葉を語り神のわざをなさった。
普通の人が弟子となり、聖霊を通して神のことばとわざを証するようになったのだ。
新しいぶどう酒は新しい革袋に入れられる。イエスさまの御前に皮だけになって座るとき、その空っぽに知恵のことばも満たしてくださる。
そう、皮だけ・・それは誰もが知っている普通の人、主はその新しい皮袋が必要なのだ。
すべての知恵も力も持っておられるお方が内に臨まれるとき、みこころのままにそれぞれの必要を満してくださる。ただで、惜しむことなく溢れるばかりに満たし、生きて働く神の言葉を思い出させて語らせる。
しかし、誰が神のことばのすべてを聴き取ることができるだろう。誰が完全に記すことができるだろう。
でも、人は言葉の正確さによって主を知るのではなく、聖霊によらなければ主を知ることはない。すべてを知っておられるのは主ご自身だけであり、主に信頼して行うことである。
あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、──その教えは真理であって偽りではありません──また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。(Ⅰヨハネ2:27)
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