石ころ

はっきり見えるまで




聖書の同じ箇所に留まっていて先に進んでも結局また戻る・・、気付かなかったことにするなんて出来ず、溜まるばかりのメモに余計にこんがらがって・・家を飛び出した。

空は青空、野には次々と花が咲き出し・・、広々となだらか道には車も人通りも無し・・ときたもんだ。
昨日までは、「ホッケ、ホケッ」その度に立ち止まって「エッ・・エッ」と聞き耳を立ててもそれっきりだったけれど・・
「今日こそは 紛う事なき ホーホケキョ」
しかも、気前よく繰り返し鳴いてくれた。

気をよくして帰っても何も変わらなかった。そういう問題ではないか・・。
疑問は解けたと思っても又こんがらがる。ぼんやりと見えるようでも明確な言葉とならず待つしかない。イエスさまは、はっきり見えるように成るまで付き合ってくださるお医者さま。何度も手を当ててくださる主と、見つめる者のの共同作業なのだ。

すると彼は、見えるようになって、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが見えます」と言った。
それから、イエスはもう一度彼の両目に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。(マルコ8:24~25)


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コメント一覧

ムベ
MIKUさんご紹介ありがとうございます
アーメン、アーメンと読ませていただきました。感謝です。
これからも学ばせて頂きます。
本当に主の備えられた泉は溢れていますね。主はただ、私たちが渇くのを待っていてくださるのでしょう。
MIKU
みことばとの向き合い方を教えられました。

イエスさまは盲人に癒しを行なったけれど、まだはっきり見えておらず、もう一度両目に手を当てられた事から、私たちが聖書を読む時にも、同じように、はっきり見えるようになるまで付き合って下さるお方なんですね。

私は「an east window」というブログ
http://eastwindow18.hatenadiary.com/
を読んで、聖書を聖霊の導きによって読みたいと思わされました。
もし良かったら訪問してみて下さい。

定期的に記事を読ませて頂きますね。
これからも宜しくお願いします🌺
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