「遅くなってごめんね。ちょっとサボろうと思ってしまって・・。一昨日のみことばを読み返すべきだとは思っていたのだけれど・・。」などと言いつつ聖書を開く・・。
先日教わったみことばを開いて彼女と読む。詩編90編を読んでいて、「この、『しもべ』って誰のこと?『子』って誰のこと?」と問われた。そのことで一緒に読み返してよかったと思った。
先日は「イエスさまは神様が生んだの?」と聞かれたことがあって、あわてて「いいえ、イエスさまは初めから神様と共におられて、共に創造された方だよ」と言いつつも、「ではなぜ子というの?」と聞かれはしないかと私はたじたじ・・。
ただ聖書にそう書いてあるからそうなんだよとしか・・。人様に伝えるときに一番に思い知らされるのは自分の無知。いつももっといろいろなことをきちんと知らないといけないと思わされる。
「私ね、先生に会うのがとても恐くて、最近はまったく使ってなかったニトロを貼って行ってん。何を言われるかと思っていたから・・洗礼を受けて、教会に通って、こんなに助けてもらったのだから、あれもこれもしないといけないと言われたらどうしようかと思ってしまった。」
「『こんなに助けてくださった』のはイエスさまだよ。イエスさまが十字架で全部を成し遂げてくださったのよ。だから、何もそれに付け加えることなど無いの。誰もそんなこと言えない。」
「本当にそうだった。『割礼を受ける受けないは大事なことではない』と教えてくださって、このみことばが嬉しかった。洗礼を受けなくて良いとは思っていないけれど、なんかすごく安心した。先生も奥さんもやさしくて親切に教えてくださったから・・。」
私には彼女が洗礼をそのように思い詰めて考えていたことが意外だった。きっと彼女はみことば以外から、思いこみや噂のたぐいによる知識によって悩んでいたのだと思う。私は今の彼女には形式ではなく、ただキリストを知ること、味わうことに専念すればよいと思っているのだけれど・・。
それでも、彼女は思い詰めた結論を自分で出していて、
「世間の事もあるから主人が先に逝ったらお葬式などをすべて終えて、それからということで、私のお葬式のこととかは何もしなくても良いからと洗礼を受けるということを娘に認めさせた。」改まってそう伝えられた。
「それは駄目。そんなふうに自分で計画を立ててしまったら、イエスさまがご主人や娘さんに持っておられる良い計画の邪魔をすることになるよ。
今のままで、このままですべてをイエスさまにお任せしなさい。永遠のことまで心配してくださる方が、どうしてこの世のことを心配してくださらないわけがないでしょう。主がすべてを心配してくださるから、自分でそんなふうに計画を立てないで・・」
彼女の気持ちは手に取るように分かる。この夫がどのようにして救われるのだろう・・ちょっと反対しないでいてくれても、次の瞬間には何歩も後戻りするような家族の様子を目の当たりにして、なを救いを確信していることは難しい。
現実を見るのではなく、みことばの約束に立っていないと・・・此処でそんな賢い計画を立ててしまったら、夫や娘さんとイエスさまの間に立ちはだかってしまうことになる。
ご主人に信仰を押し売りしなくても、ご機嫌取りのような人間的な方法を用いなくても、みことばはイエスさまのお約束なのだから任せるだけで良い。今日私たちが主と共にいるだけで良い。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
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