石ころ

老人の出番と引き際(出エジプト18章)

 

さて、モーセのしゅうと、ミディアンの祭司イテロは、神がモーセと御民イスラエルのためになさったすべてのこと、どのようにして主がイスラエルをエジプトから導き出されたかを聞いた。(1)

 

イテロは自分のなすべきことと、時を察してモーセの所にやって来た。イスラエルに大いなる神のみわざが成ったことを聞いたとき、モーセがその役割を無事に果たしたことを聞いて、自分の役割をそっと果そうしたのだ。

 

こうしてモーセのしゅうとイテロは、モーセの息子と妻と一緒に、荒野にいるモーセのところにやって来た。彼はそこの神の山に宿営していた。
イテロはモーセに伝えた。「あなたのしゅうとである私イテロが、あなたの妻とその二人の息子と一緒に、あなたのところに来ています。」(5~6)

 

舅や姑の役割は子どもの家族を支える影の存在である。イテロはモーセが家族と居るために妻と息子を連れて行った。家族は一緒にいることが一番良いことである。そこに家族の歴史が濃密に積み上げられるのだ。
神の御わざを共に経験し試練も共に経験するのが家族である。主は家族を豊かに祝福してくださるお方である。

 

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)

信者でない夫は妻によって聖なるものとされており、また、信者でない妻も信者である夫によって聖なるものとされているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れていることになりますが、実際には聖なるものです。(Ⅰコリント7:14)

 

モーセはしゅうとに、主がイスラエルのために、ファラオとエジプトになさったすべてのこと、道中で自分たちに降りかかったすべての困難、そして主が彼らを救い出された次第を語った。
イテロは、主がイスラエルのためにしてくださったすべての良いこと、とりわけ、エジプト人の手から救い出してくださったことを喜んだ。
イテロは言った。「主がほめたたえられますように。主はあなたがたをエジプト人の手とファラオの手から救い出し、この民をエジプトの支配から救い出されました。(8~10)

 

モーセとイテロのこの時は、なんという幸せな交わりであろう。神をほめたたえて喜び合う以上の幸いは、他のどんな良いこととも比べようが無い完全な喜びの時なのである。モーセは何時までも語っていたかっただろうし、イテロは何時までも聞いていたかったであろう。

 

翌日、モーセは民をさばくために座に着いた。民は朝から夕方までモーセの周りに立っていた。
モーセのしゅうとは、モーセが民のためにしているすべてのことを見て、こう言った。「あなたが民にしているこのことは、いったい何ですか。なぜ、あなた一人だけがさばきの座に着き、民はみな朝から夕方まであなたの周りに立っているのですか。」(13~14)

 

イテロのもう一つの役割が此処に在った。モーセの日常を目にして助言を与えた。老人は若い人の役割を守るために、自分に出来ることをなすべきである。年を取らないと気付かないことも沢山あるのだ。

 

老人だから恐れずに伝えられる言葉がある。若い時は家族を守るために言えないこともあり、経験の浅いことで恐れてしまうこともあるからである。
歳は不足の無い老人ならこそ誰をも恐れずに勧告もできるものであり、老人が己の守りに汲々とするなら役立たずである。

 

すると、モーセのしゅうとは言った。「あなたがしていることは良くありません。
あなたも、あなたとともにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことは、あなたにとって荷が重すぎるからです。あなたはそれを一人ではできません。(17~18)

 

イテロは、モーセが一人で負うには役割が荷が重すぎると忠告した。このことを教える役割はイテロの他には居ないのだ。イテロは自分の役割を全うした。これこそ舅の鏡であろう。

 

さあ、私の言うことを聞きなさい。あなたに助言しましょう。どうか神があなたとともにいてくださるように。あなたは神の前で民の代わりとなり、様々な事件をあなたが神のところに持って行くようにしなさい。
あなたは掟とおしえをもって彼らに警告し、彼らの歩むべき道と、なすべきわざを知らせなさい。(19~20)

 

リーダーにとって何を成すべきか、何を成さざるべきかの判断はもっとも重要なことである。イテロは祭司としての役割も全うして、具体的な知恵をモーセに導きイスラエルの形を作る助けを果した。
確かにモーセの役割は神の御前にいることであり、人間に忙殺されていてはならないのだ。

 

モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、すべて彼が言ったとおりにした。
モーセはイスラエル全体の中から力のある人たちを選び、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上にかしらとして任じた。(24~25)

 

モーセはイテロの忠告をそのままに聞き入れた。彼は少しも自分の考えに固執しなかった。ここに神の臨在が伺えて完全な仕組みが備えられたのである。

 

いつもは彼らが民をさばき、難しい事件はモーセのところに持って来たが、小さな事件はみな彼ら自身でさばいた。
それからモーセはしゅうとを送り出した。しゅうとは自分の国へ帰って行った。(26~27)

 

イテロの出番はこれで完了である。そう、彼の引き際は鮮やかであった。


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