石ころ

今日の歌(2023.05.18)

 

三時間峠を越えて辿り着く今日から住まう新しき町

 

少しずつナビを頼りに覚え行く五月の夕べウォーキングする


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コメント一覧

ムベ
デ某さんコメント感謝します

長男の車でした。峠また峠なのでゆっくりと走り休憩もとってのことです。
走って行くうちに山がなだらかに変わって行くのです。何処も杉ばかりの険阻な山の間に住んでいましたので、遠く来たのだと感慨深く感じました。

三時間歩くなど・・精々30分くらいしか歩いていません。ただ、方向音痴なのでナビが無いと不安なのです。まだ、方向感覚があやふやなので徘徊になってしまいます。

写真は以前撮ってくれたもので、今の所は新興住宅地で、配達の方たちが度々迷っておられるほどです。
方向音痴の私に、家の所在の説明を求められて困惑するばかりでした。電話で「線路を渡りますか」と聞かれて「どちらから見てですか」など・・、今はちょっとマシになりました。ふふ・・

>『ひと知れず野辺に咲く名も知らぬ一輪の花』と。

ふ~う。置かれた所で淡々と生きる清々しさ・・のようですが、神さまに目的を持って造られたことを知るクリスチャンには、明確な使命があるのですよね・・。
デ某
三時間峠を越えて辿り着かれた新しい町…
三時間は お車だとすれば 随分!遠いなぁ! と思いました。
そして歩かれて三時間であれば お元気だなぁ! と思いました。ともあれ「今日から住まう新しき町」のくだりに…
ムベさんの様々な感慨が凝縮されているように思いました。

「ナビをたよりに」されるウォーキング。
それって スマホをよく使いこなしていらっしゃるなぁ、と。
私は スマホは携帯がわり 写真はデジカメ ナビは車のみ。

お写真が ムベさなんがウォーキングされるところであるなら
とても感じの良いところ… だと思いました。
わが郷里の風景にもよく似ています。

野辺に咲く花に8年前(2015.2.27)の拙ブログを思い出しました。
米国から永平寺の禅僧となった青年に名高い記者が禅問答にて
 「人間が生きている、とは如何なることか?」と問いかけ
 青年は しばらく瞑黙したあと
 『ひと知れず野辺に咲く名も知らぬ一輪の花』と。
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