石ころ

言葉の真実 (ヨハネ8章1~11)





そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、
イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。
こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。(ヨハネ8:3~6)新共同訳


 尊敬の気持ちなど微塵もないのに、イエスに「先生」と呼びかけ、姦淫の女というカモを引っ張ってきて、「さあ、どう裁くのか」と自慢げに迫るお偉いさん達。
イエス様はその心の卑しさに耐えられず、目を反らせてひとり地面にかがまれた。

しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。(ヨハネ8:7~9)新共同訳


 イエス様は一団の中で誰よりも、罪を犯した女よりも低く地面に身をかがめて取りなしてくださっていたのだ。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないのです。」訴えている者たちのためにも、訴えられている女のためにも・・。

そうして、すべての人に対して「あなたに罪はないのか」と教えてくださった。「あなたも悔い改めなさい」と・・
イエス様は女に「婦人よ」と呼びかけられた。この一言は女の人格を立て直す言葉のように聞こえる。
本当に・・、何気ないみことばにも人を生かす温かさがこもっている。
女は逃げない。自分の足元にかがみこんでおられる主を誰が怖がるだろう・・。彼女は安らいでいたのだ。


あなたがたは肉によってさばきます。わたしはだれをもさばきません。(ヨハネ8:15)

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コメント一覧

ムベ
「姦淫は一人ではできない」そうなんですね!
今まで気付きませんでした。
でも今では、「姦淫」も「純愛」なんて・・言葉がすり替えられています。

女は教会、主がそのように定められたので、
その恵みを受けているのですね。
やはり女にはわかりやすいと思うことがあります。

「元カレ」なんと答えると思われましたか?
答え「イエス様以外はすべて片思いでした。」
でも、少し若返りました。
電気屋
「姦淫」は、一人では出来ないと考えると
「姦淫の場」にはもう一人いたはずになりますが
イエスの前に連れてこられたのは、何故か女だけ、、

教会の型である「女」には救いが備えられてあり
他方では、そうでない「者」もいる

例え自分の意志でなくても、主に出会うって
すばらしいです。
ムベさんにも「元カレ」っていらっしゃいました?
ムベ
蛇足
女は姦淫を再び犯すことはあるか?
まことの花婿に在る安息を知った者が、なを罪に中に戻って行くとは考えられない。
彼女の飢えは癒され、人格も新しく回復されているからである。
「罪を犯すな」と言われたイエス様のお言葉に従うことは彼女の喜びとなる。
キリストに出会うってそういうことだから。
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