石ころ

話し相手





 今日はゴミの日、昨日少し押し入れの掃除をしたのでそれらを詰め込んだ袋と、生ゴミ用と2袋になって余裕があり、もう一度押し入れに頭を突っ込んでゴソゴソと捨てるべき物を物色した。

瀬戸物がやたら多く仕舞われている事に気付いた。コーヒーカップ、お湯のみ、お皿、ガラスの素麺鉢、これは去年使おうと探したけれど見つからずにあきらめたものだった。
必要な時に出てこないなら無い方がマシだと思いながら・・どうするか迷う。
しかしそれは今考えることでなく、今日は燃えるゴミだと切り替えて雨の中やっと2袋のゴミを出し終えた。

 朝食のパンを焼いてコーヒーを入れ、テーブルに着いてホッとしたとき、居間の薄暗いタンスの上から「かあちゃん、こっち見て」って声が聞こえたみたいに、目の端に真っ白な花が飛び込んできた。
宵に降り出した雨に打たれるのが惜しくて昨日切り取った芍薬をだった。あの時はまだ蕾だったのに・・もう、二輪とも華麗に開いていた。
「あっ!気付かなくてゴメンね、咲いていたんだね!」

そのとき花には優しくあるけれど・・と、昨夜の忸怩たる思いがよみがえった。
「今夜はよく眠れそうだ・・」と思いつつ寝室に入って、電気を付けると同時に足元を素早く動く物に固まった。

それは5㎝ほどの蜘蛛だった。大慌てで殺虫剤を持ってきてシューシューと吹き付けても、蜘蛛は走り回るばかり、いよいよまき散らして部屋を追い回し、床の間の角に逃げ込んで留めのように吹き付けた。
あまりの臭いに自分の方が死ぬのではないかと気付いて、エアコンのスイッチを入れて空気を入れ換えたほどに・・。

 私は怖かったのだ。そして悲しくなった。殺したくはなかったのにと・・。あの蜘蛛はゴキブリやムカデを獲ってくれていたかも知れないのだ。私の敵ではないと知って居たのに・・。助けてくれていたかも知れないのにあのような殺し方をしてしまった。
主人なら捕まえて外に逃がしていた。主人はあの蜘蛛は殺さなかった・・。

もうその部屋には入れずに居間のソファに横になって、まったく面白くないテレビをぼんやりと見ている間に・・、それでも眠れたようで今朝は元気に目覚めた。
だけれど・・と、時間を見て医院へ出掛けた。

アレルギーの薬と、たまに飲む緊急用の睡眠薬が切れていたので欲しかったのだけれど、窓口でそのことを伝えると「診察は良いのですか」と聞いてくださった。「何もないのですけれど、長いこと先生に会ってないから入っても良いですか」ということで先生に、あれこれとネガティブなことを並べ立ててお話しする。

あれはしんどい、これはどうも・・。蜘蛛が出て怖かったこと、蛇や虫が怖くて主人のイチゴは採りに行けないなどなど・・。
そんな私に、「元気そうやな」先生の診断。「最近は血圧もそんなに下がらないし調子が良いです」そこで血圧計を出して計るというこの場に相応しいこととなった。120幾ら・・確かに問題なしだった。

先生はほとんど「そやな・・」とか「それはな・・」と調子を合わせて話させてくださる。待合室に居られる人のことにやっと気付いて立ち上がる。
お薬を受け取るとき、「すみません。いっぱいしゃべっていて・・」と言うと、「いいですよ。溜めとかんと先生に聞いて貰ったいいよ。」と言ってくださった。

お支払いは薬代の百円玉が3枚ちょっと・・「本当にこれでいいのかな・・」まあ、先生が「元気やな」っていう患者では・・そういうことなのかも知れない。ここは未病医院なんだ。こんなふうに病気になる前の治療で守られている。

老人なら、誰でも探れば病名の一つや二つは付くものだ。それを検査漬けにし、脅して薬にがんじがらめ副作用に薬をまた重ねて・・、子や孫の医療費を食い尽くすなんてまっぴらなのだ。

だから本当にありがたいと思う。気の重いことは話せば流れて行くから・・。帰りにちらっと言われた「それでも歳は取るのだから・・」先生の言葉に、強気も弱気も心しなければねと少し反省。


 不如帰がよく通る声で鳴いている。それは緑滴る山々に響き渡るほど・・。
先日姉妹が、「あら、天然の鶯が鳴いているね。」と言われた言葉が可笑しかった。鶯は天然でしょう・・と。

でも、街の中に住んで居られる姉妹にはそれほど新鮮だったのだろう。私が「『チョットコイ。チョットコッチキテ。モ~チョットコッチ』って鳴いているでしょう。」って言うと大笑いしてた。「小鳥ともしゃべるの」って・・。

だってお父さん居ないから何とでもしゃべる。メダカは私と目が合うと「かあちゃん、ごはん」って水面をつついて請求するし、花とも草とも主人の代わりにしゃべるのだ。

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コメント一覧

ムベ
油菜さんありがとう
そうそう・・、ホタルですね!
去年は孫達に見せたくて、主人と右往左往したのです・・。
この世のものとも思えぬほどのホタルを見たと、誰よりも主人が喜んでいました。

私はホタルの群舞を見ると、彼らと共に舞っているような感覚に襲われます。
ホタルは美しいけれど、その光をちょっと恐ろしく感じることもあります。

鳥や花は口答えはしませんね、
私は、主人と喧嘩をしたときに「そうやなって言え、一々口答えするな!」って怒られたことがあります。
それを思い出してしまいました。
時には花や鳥のようであったらよかったのに・・って。

それにしても、主の備えてくださった地はなんと豊かで、退屈することないように配慮されていることでしょう・・
青い空も、白い雲も、心地よい風も、花も鳥の声も・・私の好きなタダです。
油菜
蜘蛛は怖いし気持ち悪いです。
だから、見つけたらバシッ!と一発で仕留めます。

それにしても、小鳥の声を聞いたり、花とお喋りしたり出来る環境が羨ましいです。
私も与えられた範囲の中で、眺めて触れて・・ってやっていますけどね。
人と違って とても自然体でいられますもの。

もう暫くするとホタルですね!
ムベ
電気屋さんありがとうございます
 エバは普通に蛇と語っていたのですね。
以前居たウサギは私の言葉にずいぶん的確に反応しましたから・・通じることは私には普通だと思えるのです。
とこちゃんは褒めるといくらでも鼻面をこすりつけて得意そうでしたが、悩み事を話すとくるりとお尻をむけました。いつもです。アハハ・・

植物も話しかけてやると元気だと言う人が居られるでしょう。確かに、剪定などで乱暴に切り捨てたままだと弱ることがありますが、言葉のケアで元気になるように思います。

でも・・彼らと話すほどに人と語ってないことに反省です。私は人はしんどいくて・・すぐに逃げ腰になってしまいます。

 
 今年は鶯がよく鳴いていると思ったら、やはり不如帰も鳴き出しました。これはペアですね。
神様が許されている中では、反省は違うのでしょうか・・。
これは、ちょっと違うかも知れませんが、聖霊の働きの中では反省はそうないです。悲しみはありますが・・。

 昨夜も鳴き声を聞いていました。遠くで鳴けば哀愁があるし、深夜に裏山で「ホ・ト・ト・ギ・ス・ホ・ト・ト・ギ・ス」とよく通る声で鳴かれては少々迷惑です。
でも、この声を聞けない夏はとても淋しいです。

 はい。ほっこりと温かい医院です。人の評価には拠らず私はとても感謝しています。未病を取り扱っておられるみたいです。

昨夜はまだソファで寝たのですが・・。5㎝の蜘蛛があんなに怖いなんて・・昼だったらうまく外に逃がせたのですが夜は駄目です。
魂は揺れ動いて時に混乱する弱さをもっていますが、主は必要を備えて、立ち直らせてくださるから感謝です。
電気屋
ひょっとするとエデンでは、アダムらは動物らと会話が成り立っていたかもしれませんなどとフッとおもってみたり
それは「蛇」が、エバに語りかけてきた時に

エバはこのことばに、ひどくとまどって、
「どうしてこのような事がありましょう。へびがことばを話すなんて!」

などとかいてありませんから、などとひとり妄想ですが、、ショックだったんですね、堕ち込みますよ。
それも人間だからかな?他の動物は自分のしでかした事を後で反省していないみたいでホトトギスならぬカッコウは人の巣に卵を産み付ける事に罪悪感はないみたい、、(ある意味羨ましい)
自分の行動とこころの思いはなかなか一致してくれませんね。

それにしてもすばらしいドクターさんですね。
私たちもこの後長野市街地に降りてそんなお医者さんに行き会いたいものです。

どうぞ今日ムベさんの魂と体が主の霊と共にあって平安でありますように
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