仙台街探(まちたん)プラス

仙台のグルメ・カフェ・イベント・etc.街の話題をウオーキングしながらご紹介。プラス岩手、山形、福島の街ネタも。

泉区山の寺「洞雲寺」と七北田宿開設四百年の史跡巡りに参加しました

2024年05月06日 | 街角ぶらり

以前から気になっていた泉区山の寺の洞雲寺」とその周辺の史跡巡りに参加しました。泉区では、もっとも古いと言われる寺院ですが、昭和18年の山火事で一堂伽藍は焼失します。その原因と言われているのが、仙台鉄道(軽便っこ)の蒸気機関車の火の粉が、山に燃え移ったためとされています。

いまでは、想像もできませんが、1922年に通町(北仙台)から八乙女開通、1929年には、西古川まで全通。王城寺原演習場への兵員輸送にも活躍、また山の寺洞雲寺にも駅があり、仙台市内からの人気行楽地だったとか(写真は特別列車)、戦後、七北田川橋梁が台風で破損、それを契機に1960年に全廃されてしまいます。

今の洞雲寺には、往時の遺構はほとんど残されていませんが、偲ぶにはいい機会でした。再建された山門です。

由緒をみれば、8世紀から様々な宗派をわたりながら、信仰の場所だったことがうかがわれます。

寺の内部を特別拝観でき、数少ない遺物を見学しました。伽藍配置図です。

伽藍図の中央上に見える「二天門」での集合写真、モノクロ写真をカラーした写真2点。

山あいにあるお寺として人気があったんでしょうね。

伊達吉村公の庇護もありました。

火災で焼け残った石碑です。

1518年の銘がある県内最古の梵鐘です。

かつての境内跡には、緑豊かな庭と清水も流れています。

瞑想を深める座禅窟の跡

小さな滝が流れる先には、2基の不動尊が祀らています

伝説の白狐観音

洞雲寺開基と関連する岩谷観音洞。

奥に観音像があるとされますが、まったく見えません。

洞雲寺を後にし仙台バイパスを越え、七北田宿開設四百年の歴史探索に向かいます。

旧奥州街道の出口付近に白水沢愛宕神社はあります。疫病祓いそして火防の神として勧請されたようです。北西には、七ツ森が遠望できます。

街道沿いを南下、浄満寺にやってきました。

門前に2022年、奥州街道七北田宿開宿四百年の記念碑が建立されました。

奥州街道は、かつては、根白石方面に大きく迂回するようなルートでしたが、伊達政宗が街道整備する過程で仙台城下から直線的に引き直し、1623年に七北田宿を開宿します。

※すいせん通りにある「七北田宿」の案内板

浄満寺の一番奥の小高い斜面で昼食です。仙台市内が一望できます。

街道沿いを南下し、ここ実相寺にやってきました。

国分氏との縁起が深い寺で、歴代の墓もありました。

ここに、あの赤穂浪士47士の中で唯一切腹を免がれた義士のひとり、「寺坂吉右衛門」の墓があります。討ち入り後浪士の冥福を祈るため、全国を行脚しました。

ここ七北田では、子供たちに手習いを行い78歳で亡くなったとされています。因みに寺坂の墓は全国に7か所あるそうです。

明治期の七北田宿の写真です。王城寺原の入り口ですので軍人が多く見受けられます。

明治9年に明治天皇が東北巡幸し、櫻井家で休息された記録があるとのことで、七北田の櫻井家を訪問。現在の御当主が子供の頃の門構えの写真です。

泉区に30年以上住みながらやっと永年の謎だった洞雲寺の概要がつかめ、しかも仙台鉄道の施設、線路跡を見学、七北田宿の成り立ちなど、大いに楽しめる史跡巡りでした。

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金港堂本店に感謝、4月30日で惜しまれつつ閉店へ

2024年04月28日 | 街角ぶらり

惜しまれつつも、地元老舗書店の金港堂本店が、4月30日で閉店となりました。「まちとほんと13のものがたり」と題した感謝の集いが開催されるというので参加しました。

金港堂本店の2F特別会場では、主催の郷土史家木村浩二(ブラキムラ)さん風の時編集部代表佐藤正実さんの思いのこもったトークから始まりました。13人の方がそれぞれの思いを語ります。

会場には、幕末の1859年描かれた仙台城下絵図とその絵図をベースに現代の道路を投影した絵図が展示されています。

また、1859年描かれた仙台城下絵図を拡大し、会場の床面に広げられていました。

13人のひとり、ライターの西大立目さんの独自の視点が面白く、「奇しくも一番町の北に位置する仙台市役所が1965年完成、南に位置する金港堂本店が、1966年完成、そして今解体される」、「時代的に使われていた建築資材には色こそ違うが壁面にタイルが使われていた」などなど。

本店との関りが深かった13人の方々のみならず、一般来場者それぞれにも金港堂本店が地域に根差したベースキャンプのような場所だったのでは・・・。

仙台藩、伊達政宗関連、古地図、明治、大正、昭和の仙台の移り変わりなどの写真集など地元に根差した出版物を揃えていた金港堂本店が閉店するのは、ほんとうに残念です。

今後は、地元出版物などは、支店でも購入できるでしょうが、本店は30日夕方までですので再度訪問しようかと思います。

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広瀬川散策 宮沢橋から広瀬橋、千代大橋そして舟丁石橋屋跡では枝垂れ桜が満開。

2024年04月18日 | 街角ぶらり

昨年夏から広瀬川の両岸を”街探”していますが、ちょうど宮沢橋から広瀬橋、そして千代大橋をわたり中心部までもどる広瀬川散策イベントがあり、参加することにしました。

河原町駅で集合、宮沢橋のたもとで広瀬川東岸堤防を南下します。(郡山堰付近)

市内中心部を流れる広瀬川ですので、トイレなどの休憩場所も多く、付近の桜も満開でした。

今回の広瀬川を散策するイベントは、人気があるようで、男女40人ほどが参加されていました。

広瀬橋を越えて、新幹線・東北本線の先に、「旅立稲荷神社」があります。

藩祖伊達政宗が仙台から出府の際に、道中安全を祈願したとされています。

いざ江戸への参勤交代の折、旅の無事を祈る神社、川のたもとに鎮座し、境内は小さいながらもその雰囲気は十分に感じ取れます。

さらに南下すると川幅も広くなります。

いたって平坦です。この堤防のみちは、名取川と合流して、最終的には、藤塚、かわまちてらす閖上まで続いています。

以前は、自転車で五橋をスタートし、宮沢橋の堤防から入り、閖上までよく往復(30㎞位)しましたが、最近はさぼっています。

ジョギングしている方も多数。

対岸は八本松マンションですね。

個人宅の庭でしょうか、紅白がくっきりときれいでしたので思わずワンショット。

千代大橋をわたり、北上します。

車を河原町の駐車場に置いていたので、長町方面へ向かう散策ツアーとは、八本松付近でお別れしました。マンションの端にこの「八幡宮碑」があり、なんでも河川敷から出土したものとか。

さらに北上し、広瀬橋を越えると、広瀬橋の桜とこの「橋姫明神」があります。

広瀬川の氾濫を静めるために人柱になったという娘を供養するため、明神社が建立されたという橋姫伝説です。

仙台市内、交通の要衝ともいうべき広瀬橋のたもとに人柱伝説があり、お社が地域の皆さんで守られているのは、驚くばかりです。

日向ぼっこするには、格好の場所です。

名取川と広瀬川を結ぶ「木流堀」の合流付近です。かつては、名取川上流から城下町への材木を運ぶ貴重な流路だったそうです。

水面で黒く動いているのを見れば、50~60cm位の鯉が30匹位かたまって泳いでいます。

ツインタワーマンションと郡山堰の対比の風景、そしてゴォーと堰を下る川音、安らぎの一瞬です。

堤防のコンクリの上、ハクセキレイが2m先まで寄っても逃げません、スマホでもそれなりに。

宮沢橋まで戻り、地下鉄河原町駅の先、舟丁の石橋屋跡までやって来ました。枝垂れ桜がどうなっているか心配でしたが、今年もきれいに咲いて、一安心ですね。

やはり広瀬川沿いはいいですね、花粉や黄砂が落ち着いたら、しばらくぶりに、かわまちてらす閖上まで自転車で往復してみようかと・・・。

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青葉山「青葉の森緑地」でカタクリお花見ウオークに参加しました。

2024年04月13日 | 街角ぶらり

春は、青空とピンクの桜の花の対比が美しく、どうしても目線が上の木々に向きますが、同時に地面の草花も芽吹き、花開く季節でもあります。ということで、青葉山「青葉の森緑地」カタクリお花見ウオークがあるというので参加しました。

レンジャーによるガイドウオークで、カタクリなどの植物や森にすむ様々な生き物の観察会です。気軽な予約不要のイベントでした。

手づくりポスターがいいです。

カタクリのみちからスタートです。前回緑地の歴史探訪会は2月でまだ寒く、きょうは天気もほどよく、ガイドウオークとは別に家族ずれや、ペアなどで緑地内を散策する方もいますし、広瀬川の三居沢から上がってくる方もいました。

ガイドの説明は有り難いですね。

カタクリのみちですから、早速、カタクリの花が一面咲いています。

道々には、見た目もやさしい山野草のオンパレードです。

セリバオウレンです。

落ちたドングリから芽が出始めています。

ガイドウオークに参加した家族連れの小学生が見つけたシュンランです。

ヒメアオキですね。

キブシですか。

青が清々しいスミレです。

草花に全くの素人なので、カタクリの花がなぜ下向きに咲くのかとおもっていたら、ガイドさんの説明によると、地面からやってくるアリなどの虫に花粉を運んでもらう、また雨など花粉を流して運んでもらうためでした。生き残り、種の永続のためですね。

フキノトウのあるところは集中していました。

森の妖精イワウチワです。

厳しい冬から春の芽吹き、いろいろな表情を見せてくれる青葉山「青葉の森緑地」、イベントもこれから盛りだくさん。新緑の季節、是非訪れてみて下さい。

「青葉の森緑地」のブログは こちら

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㊗仙台市博物館リニューアルオープン!!早速行ってきました

2024年04月02日 | 街角ぶらり

仙台市博物館が、2年以上にわたる大規模改修を終えて、2日から再開館しました。市内に住んでいるといつでも行けると思い、なかなか足が運ばないものですが、いい機会と思いやってきました。

こりゃめでたい「福で笑おう」企画展の案内版が目を引きます。

伊達武将隊もお祝いに駆け付け、盛り上げていました。

以前いつ来たのか、すっかり忘れていますし、照明もだいぶ変わったようなので、展示物がきれいに新鮮に見えます。来館者は、シニアから家族連れ、そして比較的若い世代のしかも女性が多いように見えます。春休み期間中ですし、政宗ファン、歴女の方々でしょうか。

仙台城のジオラマです。

政宗が仙台開府した初期は、思いのほか城下の規模は小さいようですが、ここからどんどん街づくりに邁進していきますね。

政宗の肖像画です。

かつて広瀬川に架かっていた仙台大橋の擬宝珠です。この擬宝珠に、政宗の街づくりに掛ける思いがうかがえる漢詩が刻まれています。

有名な奥州仙台国絵図です。北は、釜石市の南の唐丹(とうに)から南は、相馬地方新地町付近まで仙台藩領でした。

片倉小十郎の旗指物です。

今の榴岡公園付近の様子です。

昭和初期の仙台の街中の様子です。「あそこだね、ここだね」の場所談義がはじまります。

堤焼の名品ばかり。

有名な政宗の陣羽織です、桃山時代に流行した南蛮趣味の色濃い陣羽織ですね。

ご存じ伊達政宗の鎧兜です。

歴代の藩主の鎧兜だそうですが、シンプルで実用的ですね。前立ては、月の模様が使われています。

支倉常長の肖像画です。

ジャポンの地図です。

支倉常長が持ち帰った十字架など。

武将隊”支倉常長”さんもガイド役です。

企画展入口です。

 

常設展はじっくり見たら半日はかかるでしょう。ミュージアムショップも拡充してます。

カフェ「モーツァルト テオ」もオープンしました。

緑彩館も含めて、青葉山はますます魅力アップしました。桜も間もなく満開、西公園花見会場とも合わせて、散策路にピッタリですね。

博物館南側広場の紅桜も咲き始めました。

仙台市博物館のHPは こちら

 

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