ローズマリー(ヨーダ改め)

人形制作、大自然の恵みを頂いての手作り、日々の暮らしなど発信していきたいと思います。

お墓参りと草刈と義母のくちなしの花 

2023-06-28 | 義母

義母の息子たちと一緒に

義母が生前暮らしていた家(今は空き家)の庭の草刈りと

お墓参りに行ってきました。

庭の伸びた草は、弟たちが草刈り機で綺麗にしてくれました。

義母が亡くなって家はそのままにしていたので

弟たちが庭をやっている間に

少し家の中を整理しようと思っていたのですが

末っ子の弟が少し前に整理してくれたようです。

 

その後、山の中腹にあるお墓の掃除を皆でして

ゆっくりお参りをしました。

 

庭の入口には義母が植えた木が何本もあります。

くちなしの花も咲いて、あたりはほのかな良い香りが広がっています。

弟に

『このくちなしの花、少しだけ持って帰ろうかな』

というと

ここで咲いても誰も見てくれんし、持って帰り!持って帰り!』と

ここに蕾がいっぱいある!こっちにも蕾がいっぱいあるよ!』と

あっという間に両手いっぱいのくちなしの花。

義母が存命であれば、やっぱり

『沢山持ってお帰り。』

と持ちきれないくらい持たせてくれたことでしょう。

玄関に挿しています。

(写真のクチナシはしおれているのではなくて下向きに咲く種類です。)

 

家中にほのかな香りが漂って

義母のこと、あんな事、こんな事、思い出します。

思い出すとあの世の人とも繋がれるような気がします。

 

今日もご訪問ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 


約束したけれど・・・&空

2022-12-10 | 義母

2年前に旅立った義母は

情報通、政治経済に詳しく、国際情勢にも敏感でした。

国会中継は必ず見ていて

義母と一緒に過ごす時は

今の日本の政治家たちや、政索についてどう思うか聞かれ

そういうことに疎いヨーダはいつも冷や汗ものでした。

その他にも色々なことを教えてもらってすごく勉強になりました。

食については事細かにアドバイスをしてくれました。

そのうちの一つは、中国から輸入された食品は

極めてリスクが高いから、絶対に食べないように。

『ヨーダちゃんはウナギが好きでしょ、中国から輸入しているのは危ないから

絶対に食べてはだめよ。絶対に食べないと約束してね。(外国生まれ、外国育ちの義母は幼いころから標準語だったそうで、たまに方言も交じりますが、とてもきれいな言葉とイントネーションでした。)』

と心配してくれて

ヨーダも『絶対に食べんから。』と約束したのに。

国産ウナギの高騰に加え、コロナ禍で家計は節約中。

ショッピングモールに買い物にった時

どうしてもウナギが食べたくなって

お値段から国産ではない中国産かな?と思いつつ、食べてしまいました。

おかあさん、約束破ってごめんなさい。

 

ウナギはすごく久しぶりだったので、美味しくいただきました。

これを食べたら、四万十川の天然ウナギが食べたくなりました。

お手頃価格で提供して下さるお店は

庶民にとってはありがたいことです。

でも、やっぱり違いは歴然!

四万十川の天然ウナギを食べるために、もうひと頑張りしましょ!

 

 

ウロコ雲、空いっぱいのウロコ雲は久しぶりかも?

 

 

 

 

今日も見て下さってありがとうございます。

 


秋ですね&義母

2022-10-06 | 義母

ここ2~3日朝夕ぐっと気温が下がって秋らしくなりました。

久しぶりの散歩に遊歩道を歩こうと思って出ましたが

涼しくてすいすい歩けるのでもう少し足を延ばしました。

久しぶりの河川敷には彼岸花が沢山咲いていました。

けど、少し色あせたような・・・

 

 

 

白い彼岸花も少し黄ばんでいます。

彼岸花ももう終わりかけ、本格的な秋に入ってゆくのですね。

涼しくなって日没が早くなり、今年の秋は駆け足で通り過ぎそうな気がして

少し感傷的になってしまいます。

 

 

義母のことを思い出しながら人形を作っていたら

無意識のうちに義母に似た人形の顔を作りかけていました。

ビックリです。

先日は義母の3回忌でした。

義母はいつも笑顔でした。

義母が介護施設に入居している時に、同居していた息子が結婚して家を出ました。

義母は幾つも持病があり状態が悪い時は病院で入院治療を受けて

退院したらまた介護施設に入居していました。

そんな状態が7年ほど続きました。

同居していた息子が責任者になっていましたが

途中で、これ以上は面倒見れん、と言うので

後はヨーダがお世話させて頂きました。

義母は年老いるまでは私のことを『ヨーダさん』と呼んでいたのに

亡くなる12~13年前から『ヨーダちゃん』と呼ぶようになりました。

最後の半年くらいの入院中に担当医から

いつ逝ってもおかしくない状態なので、覚悟しておくよう言い渡されていました。

コロナ過で面会もできない時期もありましたが

最後の1週間は家族に限り、短い時間ですが面会が許されたので

毎日行きました。

亡くなる前日、面会時間も終わり

『今日はもう帰るけど、また明日来るからね』と言うと

義母が何か言いましたが、酸素マスクを着けているのでよく聞こえなくて

義母の口に耳を近づけると

『ヨーダちゃん、気を付けてお帰り。』と言ってくれました。

それが義母の最後のことばでした。

     お か あ さ ん  あ り が と う

 

今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。